プロ野球選手を夢見ていたが、東京国際大学のTIUAプログラムを知り、商学部に入学。
私は高校までプロ野球選手になることを夢見て栃木県の野球名門校へ入学し、野球に日々明け暮れる毎日でした。しかしながら、あっけなくその夢が3年の夏に散り(初戦敗退)、進路を悩んでいた時に、勉強はたいしてしていなかったのですが、英語だけは好きだったのでアメリカに留学してみたいと思うようになりました。その時、東京国際大学のTIUAプログラムを知り、東京国際大学に入学をしました。TIUAでの成績は上位でなかったものの、それでも10か月の限られた期間を最大限に生かそうと、日々英語の勉強とウ大生の友達をたくさん作る事に夢中でした。そして、あっという間に留学の期間は過ぎていきました。そんな中、Willametteの編入試験に合格したのはまさに奇跡的な出来事で、さらに2年Willametteで留学を継続することが出来ました。その当時は卒業後広告代理店に就職することを夢みていて、いわゆる大手企業に応募をしたのですが、すべて不採用。最終的に、TIU就職課に勧められた英語が使える神奈川の企業にとりあえず就職しました。
しかし、とりあえず英語は使えたものの、あまりにも自分に興味がない業界だったので、まったく熱意がわかない日々。そんな中、なぜか料理に興味を持つようになり、自然と将来自分のレストランを開くことが夢となりました。お昼休みには料理雑誌を読み、仕事を終えてはスーパーにより新しい食材を買い、自炊の毎日。週末は近所のスーパーの鮮魚売り場で魚の裁きかたを見学し、家で実践。栃木の陶芸の街に行って食器を買う。そんな日々を日本で約2年間過ごしました。
ボストンにある魚屋の卸業者に就職、人生で一番重要なターニングポイントでした。
そうすると家庭の事情でアメリカに再度戻るチャンスが訪れました。これをチャンスにキャリアチェンジをし、ボストンにある魚屋の卸業者に就職が決まりました。これは今となっては人生で一番重要なターニングポイントでした。魚が自分の武器になるとは当時は思ってもいませんでした。
取引先は主にお寿司屋さんです。魚やお寿司に関しては全くの初心者でしたが、毎日大好きな料理と食材とレストラン業界に触れ合える職場に没頭し3年間、必死に働きました。自分の夢がレストラン開業だったという事をしばらく忘れるほど、魚まみれの楽しい日々でした。そしてボストンでの3年後、全米でトップの売り上げを作り上げるセールスマンとなることが出来ました。その実績もあり、当時の会社の人事でニューヨークに異動が決まり、全米のマーケティング事業部を立ち上げることになりました。
N.YブルックリンにYuji Ramen, レストランOKONOMI、鮮魚店OSAKANA をオープン。
今となって、ラーメンは世界的に人気を集めている料理ですが、当時はラーメンが徐々に人気を集め始めてきた時期で、自分自身、ラーメンは全く好きではなかったのですが、アメリカで新しいことに取り組んでいるラーメン屋もそれほどいないという事に気付き、ラーメンについて興味が持つようになりました。そしてまぜ麺(汁なしラーメン)という存在に出会い、それに特化したコンセプトをYUJI Ramenと名付け、副業として独自のラーメンをバーや、カフェ、ギャラリー、フリーマーケットで作るようになりました。思惑通り、スープがないラーメンというコンプトがメディア受けし、ニューヨークの主要メディアに取り上げられ、お客さんが殺到。副業として続けられなくなってしまったので、本業の魚屋を退職し、2012年に独立をしました。大学卒業してレストラン開業を夢として抱くようになってから約7年後でした。まさかイタリアンシェフを目指していた自分が、ラーメン屋として事業をスタートするとは夢にも思っていませんでした。
その後、Wholefoods Marketという全米でも有名なスーパーから声がかかり、テナントして出店をしましたが、やはり自分の店を路面店として持ちたいという夢があったので撤退し、ブルックリンにOKONOMIというレストランを開けることが出来ました。コンセプトは地元の魚を使った「一汁三菜の焼き魚朝定食。日本の旅館で食べるような朝定食をニューヨーカーにも伝えたい。そして夜はYUJI Ramen。これも幸いなことに地元のお客様や、観光客に受け入れられ大ヒットとなりました。
その2年後に刺身用の魚が買える鮮魚店OSAKANAをブルックリンでオープンしました。OSAKANAでは魚の販売だけではなく、魚の料理教室も提供し、おいしい魚をより簡単に自宅で食べてもらえるような新しいライフスタイルを提案しています。
新横浜ラーメン博物館、京都、東京には路面店オープン。
その後、新横浜ラーメン博物館出店を経て、京都と東京での路面店オープン。日本でもブルックリンで始めた事業を逆輸入する流れとなりました。今年はバンコクとハワイでの出店に向けて準備をしています。
海外で長い間一緒に特別な時間を共にしたTIUA、ウ大時代の友達は一生の財産。
正直なところ、私はTIUAやウ大生の時にそれほど同級生と深い付き合いを持っていなかったのですが、日本への出店を決めて、その足掛かりとして東京の店で自分のPOP UPストアーをやったときに、FACEBOOKの告知だけだったのにも関わらず、当時のTIUAの同級生がみんな集まってくれて、その店がTIUAの同窓会状態になったことがありました。海外で長い間一緒に特別な時間を共にしたTIUA、ウ大時代の友達は一生の財産だと思いました。
失敗してもまたチャレンジする勇気を失わない事。その勇気さえ失わなければ、きっと成功につながるはず。
私は高校時代から40歳になる今まで自分の夢に没頭しひたすら突き進んできました。結果としてはうまくいっているように見えますが、すべての実績は自分の記憶からかき消してしまいたいほど辛い失敗や挫折や恥ずかしい経験に基づいたものです。夢に向かって突き進む事は様々な障害が同時に発生するので楽な事はそれほどありません。
しかし、それでも夢があり諦められないのならば、まずは一番身近な人にその夢を語り始めることからスタートするのが良いと思います。そうするとそれに共鳴する人は自然と集まってくるし、自分の中でも何をしなければいけないのかが具体的にわかるようになっていきます。そして夢がぼんやりとしたイメージから、具体的な目標と次第に変っていきます。そしてある日突然、思ってもいなかった壁や失敗にぶつかる日が訪れます。
失敗は恐れるべきではありませんが、致命傷を負わないことが重要と思います。致命傷と軽傷の境界線は見える物ではないので、気を付けてください。しかし、失敗してもまたチャレンジする勇気をうしなわない事。その勇気さえ失わなければ、きっと成功につながるはずだと私は信じています。そして、今も毎日新しいことにチャレンジしています。
(原口雄次さんプロフィール)