シンガポール在住30年以上、そろそろシンガポールの化石になりそうです。赴任直前は東京ベイシェラトンホテルのオープニング時の宣伝・プロモーションマネージャーでした。卒業後は何と転職10回を経験。それぞれの転職先では大学後輩の活躍に奮起させられ、最後はシンガポールで転職業を天職とし、人材紹介会社JAC Recruitment SingaporeとJAC Recruitment Asiaを約30年間経営してきました。今は退職後の生活を楽しんでいます。
10回の転職人生の中で、TIU同窓生との嬉しい出会い
1972年3月の卒業後は地元宮崎のホテルフェニックスへ入社。卒業旅行で欧州各地を2か月間ユーレイルパスで回り、遅れての入社で研修担当者からは呆れられた記憶があります。3つ目のホテルオープニング時で20数名ぐらいの大卒入社だったと思いますが、入社試験・レポート結果が良かったのか、皆が憧れの企画室で仕事をスタートすることになります。
フェニックスグループの宣伝・販売促進を担当。国際会議場を持ったサンホテルのオープニング時に、現在の「フェニックス・シーガイヤ・リゾートの基盤となる「フェニックス・グリーンランド」を売り出し中で、週末も仕事に没中している時代でした。 当時は全日空ゴルフトーナメントが開催されていて、1974年からダンロップ・フェニックストーナメントが始まり、お偉方から依頼されて優勝選手のジョニー・ミラーやヒューバート・グリーン、ジャックニコラウスなどのサインをもらったことを鮮明に覚えています。2年後に卒業生の少ない大学の後輩が、他県から入社してきたのには驚きでした。
ロンドンのホテルでインターンシップ
石の上にも3年が過ぎてホテルフェニックスを辞め、英国ホテル・レストラン協会を通じてインターンシップ・ビザを取得できました。現在のMillennium Gloucester HotelのFront Office勤務で、即レセプションへ配属され、四苦八苦の会話力で、冷や汗をかきながらの毎日でした。当時はWimbledon Tennis の指定ホテルで有名プレーヤーが長期宿泊していましたし、Singapore Airline Crewを毎日受け入れていました。後にシンガポール投資会社CDLが買収し、私がシンガポールで働くことになったことにも何か縁を感じました。
ロンドン生活1年後にFront Office Managerに誘われてCopthorne Tara Hotelへ転職。Assistant Shift Leaderに昇進しましたが、800室あるホテルフロント業務は毎日チャレンジで語学力の無さには相当苦労しました。ロンドンでもTIU後輩との出会いがありました。
(現在のThe Gloucester Hotelは健在)
(The Gloucester Hotel Reception/1976年)
東南アジアからのインバウンドツアーを担当
1年半のインターンビザが失効し、宮崎に帰省。旅行部門を希望して宮崎交通へ転職。海外からのインバウンドツアーを拡大中でと、台湾、香港、マレーシアなどからの観光客の添乗員として毎回1、2週間案内する業務です。一度出かけると何週間も帰ってこられない状況で新婚の家内にも相当な負担をかけ、ロンドンでお世話になった方の誘いで東京へ行くことになります。宮崎交通でも後輩が勤めていることを後の同窓会の名刺交換で知りました。
中近東・アフリカなどへの海外要員派遣業務を拡張
東京で同時通訳学校や国際会議のISS(アイエスエス)へ勤めることになります。1964年の東京オリンピックを機に国際会議、通訳会社として設立された著名な会社でしたが、入社当時はスタッフもかなり削減されていて海外要員派遣部門と経理を担当することになります。中近東やアフリカの化学プラントに海外要員や通訳者などを派遣する業務です。お得意様方が何か所かあって日参するわけですが、そこにも大学の先輩、同期などがいることわかり、話をする機会があり営業深耕もできました。
海外要員派遣先のイランやイラクでの非常事態なども経験しましたが、中近東、アフリカ、北米、南米まで海外要員派遣者数を大幅に伸ばすことができ、売り上げ拡大で年収もアップ。ここでも語学力のある大学同期・後輩など海外現場に派遣させてもらい、過酷な環境の中で活躍してもらいました。残念ながら、業務拡張とともに外部からの取締役が就任し、現場からの苦情や運営方針の違いもあり、若気の至りで転職することにしました。
欧州ファッションチェーン日本進出の宣伝・販売促進などに従事
C&Aは今でも欧州各地に1000店舗以上を展開しているファッションチェーン店です。日本に進出するということを聞き、社長と直接面談となり、販売促進担当・店舗担当として転職。1,2号店は千葉県に従来型の店舗展開。日本のファッションにはなじめず、大阪心斎橋では斬新な店舗設計で「C&A The Space」を展開することになりました。店舗工事など合い見積もりでコストを大幅節約、何よりもオープン時にはものすごい来客数で、満足感で嬉しかったですね。C&Aでも綺麗な女性社員からTIU後輩ですと声をかけられ驚きました。
(大阪心斎橋のC&A The Spaceのオープン前/1984年頃)
海外の不動産管理会社への転職で挫折
ハワイでの不動産管理の仕事の広告を英字新聞で見つけました。面接で所長職を任命され、家族を残してホノルルへ赴任しました。会社関連物件で景観の良い大きな一軒家など管理業務をするということで、家族を呼ぶ予定も延び延びになって、副所長が帰任させられ退職。本社・上司からの指示など、どうも歯車がかみ合わず、僅か3か月のハワイ滞在で自主帰国。
それからは転職先探しの毎日でした。以前の会社社長からは戻ってきてくれと言われ、3か月間ならと手伝いをさせてもらいました。そうこうするうちにJAC Japanと外資系人材紹介会社からはSheraton Hotelの宣伝・販売促進のポジションを提示され、浦安のSheraton Grande Tokyo Bay Hotelで再起することになりました。
この数か月にわたる挫折からの転職活動は家族を抱える身ではつらいもので、この機会に人材紹介会社の社会的役割がいかに重要なものかを身をもって知ることができました。
Sheraton Grande Tokyo Bay Hotel & Towersのオープニングメンバーとして
シェラトンホテルの日本最初の大型ホテル開業ということで、米国シェラトン本部から生え抜きのDirectorが着任していました。最初のミーティングでは、僕は3人目のAdvertising &Promotion Managerだよと周りのスタッフから囁かれ、かなり厳しいスタートとなりました。皇室を迎えてのオープニングイベント、印刷物、映像など同時に製作中でした。東京デズニーランドのオフィシャルホテル初めての大型外資系ホテルオープンということでテレビ局ドキュメンタリー番組制作も始まっていて多忙な毎日でした。
2年後には休暇で元上司が帰国して働いているハワイのシェラトンホテルへ、1週間の宿泊招待をしてもらいました。食事中に感謝の気持ちを伝えると、「I owe you so much」と言われたのは嬉しかったです。彼女とは仕事上での行き違いなどもあり喧々諤々の毎日だったので、3人目のManagerということは納得してはいたものの、本社からの派遣期間内に職務を100%やり遂げなければならないという彼らなりのプレッシャーと使命感があったのですね。
(現在のSheraton Tokyo Bay Hotel & Towers)
JAC Recruitment Singaporeへ転職、アジアトップレベルの人材紹介会社に拡大
1989年の5月の連休中でシンガポール・シェラトンタワーズに宿泊中、JAC Recruitment田崎ひろみ現社長と出会い、ロビーで面談。以前に面識もあったので海外生活への話も弾み、東京へ帰ってから雇用契約書にサインとなり、何と10回目の転職となりました。
1989年12月にシンガポールに家族で赴任したのですが、当時のスタッフ数は4人の小さなオフィスでした。毎日遠方の工場地帯Jurongへローカルスタッフと一緒に出かけて人材紹介のオーダーをもらい、候補者の面接を日本の派遣会社並みのスピーディーなアレンジをして成約数を大幅に上げていきました。
会社は2年前に設立されていましたが赤字会社でした。赴任6か月で当期を黒字に、赴任2年半で会社開設以来の累積赤字を一掃。2008年秋のリーマンショック前にはコンサルタント160名まで拡大。そしてアジア経済成長の波にも乗ってシンガポールからマレーシア、インドネシア、中国、タイ、韓国、ベトナム、インドへ拠点展開に設立から直接関わって、アジアトップレベルの人材紹介会社として成長していきました。各国拠点すべてオーガニックに自分たちだけの力でゼロからスタートして、田崎ひろみCEOや優秀なメンバーとともにアジア諸国に信頼と実績のJAC Recruitmentブランドを築き上げて行きました。
アジア経済危機、湾岸戦争、リーマンショック、SARS等の困難な時期も毎年黒字決算で乗り越えて、2017年の退職時にはアジアに9か国(UK含む)20拠点、社員総数約450名のグループ会社に成長拡大できました。これもお客様方からのご愛顧は勿論, TIUアジアネットワークを通じての営業活動や同窓生の転職紹介などさせて頂いたこと有難く感謝しております。大学OBから各国の取引先や支店長を紹介してもらい、営業させてもらいました。TIU同窓生も多数、シンガポール、マレーシア、タイ、日本などで一緒に働いてきました。
アジア9か国20拠点の統括会社COOとしてSGX上場を目指していた時期もありましたが、現在のJAC Recruitment Asia各国は、日本法人JAC Recruitment傘下のグループ会社になっています。2019年5月にNon Executive Directorを退任し、最近は趣味の旅行などに頻繁に出歩いています。
シンガポールはインターナショナルスタンダードのある国で真摯に頑張れば成功できる国、グローバルビジネスを運営するにはフェアーですばらしい国でした。皆さん方も是非『転職のJAC Recruitment 』を利用してグローバルな挑戦をしてみましょう。勿論、当たり外れもあるかも知れませんが、自分の培った経験と知識を生かして天職を見つけてください。
(オフィスは中央左の60階建てのビルに)
(ASEAN事務総長との面談 2000年代)
(シンガポールの金融街)
(会社の30周年記念同窓会/2017年)
学生時代の想い出
高校2年の時に銀行員だった父親が52歳で亡くなり、中野の伯父の家に5年間の居候をさせてもらうことになります。伯父夫妻にはいつまでも感謝の毎日です。海外への憧れもあり、国際商科大学(現東京国際大学)創設の教育理念に魅かれ、新井薬師から高田馬場、池袋経由で1時間半の通学での学生生活が始まりました。
我々4期生(1972年卒)の入学当時に卒業生はいなく、全校生700~800名のこぢんまりとした大学でした。在学時は大阪万博、高層ビル(世界貿易センタービル、京王プラザビル)完成、よど号ハイジャック事件, 小説家三島由紀夫の自衛隊(市ヶ谷)での割腹自殺など話題の多い年でした。
入学時は原杉久チュートリアルで『ソクラテスの弁明』を原文で勉強したことがまだ脳裏に焼きついています。チュート仲間で都内の各自宅訪問させてもらったり旅行したりで、学生生活を謳歌できました。鹿島宗二郎ゼミでは中国経済専攻でした。当時の中国は後進国で、大躍進政策や人民公社の変遷などの実態を紐解くわけです。長野蓼科、西伊豆、八丈島などでゼミ合宿をして、3年秋の合宿では「卒業論文は出来あがっているじゃないか」と鹿島先生からお褒めの言葉をいただき、ゼミで人生初めて真摯に勉学に励んだのが卒業後の仕事の基盤になったと思っています。
学生時代のエピソードをひとつ。3年生のとき鹿島先生と大学側との間に教育方針で行き違いがあった?ことが災いして、ゼミの授業が1年間で終了かという前代未聞の事態がありました。何回か大学側と話し合いを重ねましたが、ゼミに入りたい後輩のハンスト運動や全共闘運動など入り混じって、大学の有史以来の最初で最後のロックアウトで大学は夏休み前に閉鎖され、我々鹿島ゼミ員は大学の厄介者?の集まりになったわけです。この歴史は未だに卒業生のなかで語り継がれています。4年次は高円寺の先生の自宅や合宿で卒業論文を書き上げるという特例なアレンジでしたが、今となっては想い出深い卒業となりました。
これまでシンガポールをベースにして東南アジア・中国圏内で約30年間仕事をしてきたことと、学生時代に原チュート・鹿島ゼミで学んだことの繋がりは人生の宇宙観を感じました。 “馬を指して鹿となす”風潮はいつの時代にもありますが、間違ったことについてはっきりとおかしいと言う、自分の信念を貫くことが必要だと学びました。だから未だに堅物者だと言われ続けられているのでしょうか。
これからもインターナショナルなTIUを応援していきます
4期生の大半が当時の著名企業に入社しましたが、それぞれ人生の荒波を乗り越え、もう退職後の時代に入っています。私も高齢者の生活に入りましたが、今も鹿島ゼミがあっての国際商科大学(東京国際大学)卒だと誇りに思っています。また前学長の高橋宏先生(現TIUA President)は鹿島ゼミの先輩です。今後もゼロからスタートするという学生時代の“若い精神力”を持ち続けながら周りを鼓舞し、充実した生活を送っていかなければと気を引き締めているところです。やりたいと思ってることはやり遂げること、精神的にも体力的にも若々しさを取り戻し、今後も母校発展のために海外での同窓会活動に協力していく所存です。
霞会シンガポール支部は2004年1月に設立され、2020年6月には霞会全国支部総会がシンガポールで開催予定でしたが、コロナパンデミックのため延期・中止となりました。
開催記念に残るようにと準備していたTIU Sparksを立ち上げて、毎月更新中です。
[霞会シンガポール支部TIU Sparks] http://kasumikai-sg.rfsc.info/
グローバルに活躍するTIU卒業生を紹介することによって、大学の知名度・ブランド力アップと国内外の霞会同窓会ネットワークが大きく広がっていくことを期待しています。
皆様方のご協力のほど、今後ともよろしくお願い致します。
(落合雅治さんプロフィール) |
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