加藤清さんは1981年3月に東京国際大学商学部を卒業後、埼玉県飯能市の家業の材木店を引き継ごうと大手材木問屋や大手材木店で勤務され、25歳で住宅建設の藤和ホーム株式会社を独立起業されました。現在は藤和グループ:住宅建設、不動産、介護福祉事業など(会社法人、一般社団法人、社会福祉法人、NPO法人、事業協同組合)の理事長・CEOとして、経営理念の「笑顔創生」をモットーに活躍されています。
40歳の時には、障がいを持つ人のために社会を変えようと、日高市議会議員に初当選(2期)、48歳で埼玉県議会議員を務められ、行政面からの地域活性化に貢献されました。また、東京国際大学同窓会(霞会)が一般社団法人になったときに副会長も務められ、大学・同窓会の発展にも尽力されてこられました。昨年、最愛の奥様を亡くされ、喪失感から体調を崩去られたそうですが、「63歳の今を再発進のスタートラインとして、世のため人のために自分ができることをやっていこうと決心しています」と述べられています。
私は現在、藤和グループという住宅建設、不動産、介護福祉事業などを行う複合事業体(会社法人7社、一般社団法人2社、社会福祉法人、NPO法人、事業協同組合)のCEOとして、「笑顔創生」を合言葉に埼玉県西部地域の発展と地元のみなさんの幸福のために尽力しています。かつては日高市議、埼玉県議会議員として行政面から地域の活性化を目指した時期もありましたが、今は民間人としてできることをやっています。 私が生まれたのは1959年で、埼玉県飯能市高山という西川材の本場で有り、山林経営の盛んな山間部で材木店を営む一家の長男として生を受けました。当時の飯能市は林業が盛んで、山持ちのほうが町の人よりも豊かな暮らしをしていました。そんなわが家でしたが、私が17歳の時、父が木材搬出中に事故に遭い、脊髄損傷による下半身不随の大怪我をしてしまいます。そのため東京の大学に進学するつもりでいた私は父を支えるため、地元の東京国際大学に入学することになりました。
特別養護老人ホーム四季の郷上尾 100床
卒業後、父のやっていた材木店を引き継ごうと考えた私は、大手材木問屋や大手材木店で働き、ノウハウを身につけます。しかし中小零細でその業界で生きることが難しいと悟り、隣接業種である住宅建設の会社を立ち上げました。1984年、私が25歳の時のことです。それ以来、事業を拡大しながら地元の青年団や青年会議所(JC)で仲間づくりをし、40歳の時には日高市議会議員に初当選を果たしました。市議を2期務め、48歳の時には埼玉県議会議員に当選し埼玉県の発展に寄与することになりました。
私が議員になろうと考えた理由は、障がい者となった父のことで行政と関係を持つうちに、「障がいを持つ人のために社会を変えようとするなら、議員にならなければダメだ」と思うようになったからです。議員になった私は、当時当たり前のように「障害者」と書かれていた表記を「障がい者」と改めさせました。
特別養護老人ホームふるさとホーム狭山
県会議員から市長を目指しましたが、日高市長選挙では次点となり、政治の世界から距離を置くことにした私は、それから障がい者施設や老人福祉施設を次々と立ち上げ、地域福祉の貢献に尽力しました。現在は建設と不動産の仕事を弟(東京国際大学卒業)に譲り、私は福祉分野の仕事に力を入れています。現在では病院、クリニックのオーナーを始め、特別養護老人ホーム(2箇所)介護付き有料老人ホーム(6箇所)、高齢者ディサービス(4箇所)、障がい者リハビリディ(3箇所)、子供たちの放課後ディ、介護ショップなどを開設しています。2023年4月には生越町に特別養護老人ホーム100床を、飯能市に45床の介護付有料老人ホームをオープンする予定です。
東京国際大学同窓会「霞会」は長く法人会を持たない任意団体でしたが、私が副会長を務めた時に一般社団法人となりました。大学に対して50周年記念事業に対する5000万円の寄付を行うなど、大学の発展に柔軟に対応できる同窓会を構築し、「積小為大」の精神でチャレンジを続けています。「東京国際大にはすごい人がたくさんいる。この大学のOB・OGで本当に良かった」と言われるような霞会であってほしいと思います。
亡き妻と箱根駅伝の応援にて
旧車を集めるのが趣味です。
私事になりますが、昨年最愛の妻を亡くしました。59歳という早すぎる死でした。膵臓癌と診断されてからずっと治療と看病に付き添い、最期は自宅で看取りました。喪失感から私も体調を崩し、いっそ死んで家内のところに行こうかと本気で考えたこともありましたが、ふと人生最大の苦難に打ち勝ち、下半身不随を乗り越えて自動車の運転ができるようになり、87歳まで生きた父のことを思いました。父は事故に遭った時、医者から「生きて1年、奇跡が起きて3年」と宣告されていたのです。
わが加藤家は飯能の山間地域で47代の歴史を持ちます。代々の祖先が生きる中では、私以上の苦難を経験した人がたくさんいたでしょう。今私が生きていて、娘や息子が元気でいられるのも、襲い来る苦難をはね除けたご先祖様のおかげです。ならば私も苦難などに負けていられません。そう思って家内の新盆を迎えました。
藤和グループの経営理念は「笑顔創生」です。自分自身が笑顔になることはもちろんですが、相手の方が笑顔になるにはどうしたら良いかを考えて行動することで、自分が、家族が、周囲が、会社が、地域が、社会が良くなります。そう思って『心構えを変えれば、行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば人生が変わる』この事を常に心して頑張っています。
私はかつて藤和グループCEO挨拶として次のようなことを言いました。 「人は笑顔になると脳からセロトニンと呼ばれる幸せホルモンが分泌され、幸福感や前向きな気持ちを感じることができます。『病は気から』という言葉もあるように、心の状態は体調にも影響します。笑うことで気分が明るくなれば、身体にも良い影響が生まれ、免疫力がアップし、ストレスが解消されます。だから常に笑顔でいることを意識すれば、毎日を元気に過ごすことができるのです。悲しい事や辛いことがあった時は、すぐには笑顔になれないかもしれません。そんな時はこの「笑顔創生」のフレーズを思い出し、どうしたら笑顔で過ごせるのかを考えてみましょう。そして小さなことからでも行動に移してみてください。きっと幸せになれると私は確信しています」
特別養護老人ホーム四季の郷 越生
今私はこの言葉を自分自身に向けて再発信しています。そして63歳の今を再発進のスタートラインとして、「世のため人のために自分ができること」をやっていこうと決心しています。
霞会のみなさんにも、辛いことや苦しいことがたくさんあるでしょう。中には一時の私のように、もう死んでしまいたいと絶望に襲われる人もいるかもしれません。そんな時こそ、この「笑顔創生」を思い出していただきたいと思います。東京国際大学の学生であった時のことを思い出すのもいいでしょう。きっと現状を打開するヒントが思い浮かぶと思います。自分のやってきたことにムダなことなど一つもなく、会った人たちともムダな縁など一つもありません。明けない夜はありません。必ず朝が来ます。此れからもお互い頑張りましょう。
(加藤 清さんプロフィール) | |
1959(昭和34)年 | 2月1日生まれ(水瓶座) |
1975年3月13日(金) | 父が作業中の事故に遭遇。 (父49歳、母42歳) ≪16歳≫ 「医師より生きて一年、奇跡が起きて三年」と告げられる。後に4年間の闘病、リハビリ。生活の後、脊髄損傷により下半身不随の1級障がい者となるも生還。 |
1977年3月 | 狭山ヶ丘高等学校卒業 ≪18歳≫ |
1980年9月 | 母校の狭山ヶ丘高等学校に教育実習に行き、担任を持ったクラスで妻、美智代との運命の出会い。(昭和61年結婚、40年後の令和3年没)≪21歳≫ |
1981年3月 | 東京国際大学 商学部13期卒業 優秀学長賞受賞 ≪22歳≫ |
1981年4月 | 日榮住宅資材㈱入社 現ナイス(株) 一部上場(木材、住宅資材総合商社) |
1982年3月 | 日榮住宅資材㈱退社 23歳 (営業達成率賞で全国一位になる) |
1984年6月 | 藤和ホーム株式会社 独立起業 (現会長) ≪25歳≫ |
1986年3月9日 4月 | (結婚 清 27歳、妻 美智代23歳) 藤和建築設計事務所開設 |
1987年4月 | 日高市連合青年団 団長就任 ≪28歳≫ |
1987年10月20日 | 長女 愛美誕生(清28歳 美智代23歳) |
1988年4月 | 飯能青年会議所(JC) 入会 ≪29歳≫ |
1988年4月9日~10日 | 「日高ヤングフェスティバル1988」を巾着田で開催し延5000人の参加。 第一回ミス日高コンテスト、日本一長い迷路、人気バンド演奏、模擬店、提灯みこし等の盛沢山のイベントを日高市連合青年団団長(実行委員長)として開催。 |
1990年3月 | 藤和建設株式会社設立 (現取締役) ≪31歳≫ |
1991年8月16日 | 長男 将伍 誕生 (清32歳、美智代28歳) |
1994年5月 | 株式会社 藤増ステンレス工業設立 (現取締役) ≪35歳≫ |
1996年7月 | 有限会社トーマス企画設計設立 (妻 美智代 代表取締役) ≪37歳≫ |
12月 | 日高市建設事業協同組合設立 代表理事組合長 就任 |
1999年4月 | 日高市議会議員選挙 2位当選(1期) ≪40歳≫ |
2000年4月 | 日高市身障福祉会顧問に就任 ≪41歳≫ |
5月31日 | 埼玉県公民館功労者表彰 受賞 |
2002年3月 | ㈱グローバル介護サービス(現取締役) ≪43歳≫ |
2003年4月 | NPO法人さいたま福祉ネット四季の郷設立 (妻 美智代初代理事長) |
4月 | 日高市議会議員選挙 トップ当選 (2期) ≪44歳≫ |
6月 | 日高市議会 副議長 就任 |
2006年2月 | 埼玉県議会議員 当選 (1期) ≪48歳≫ |
2007年6月 | 埼玉県知事上田清司「埼玉を日本一にする県民の会」代表幹事 ≪49歳≫ |
2008年4月 | 有限会社トーマス企画設計設立(現取締役) |
2009年4月 | 医療法人社団 寿会 吉沢病院 経営顧問・監事に就任。≪52歳≫ |
2010年4月 | 日高市長選に挑戦するも次点。 ≪53歳≫ |
2012年8月26日 | 父 加藤増次 没 享年86歳 |
2014年6月 | 農事組合長 |
2016年1月 4月 4月 4月 5月 | 一般社団法人あすなろ推進機構専務理事 ≪57歳≫ 日高市区長会副会長 日高市社会福祉協議会福祉委員(28.4.1~30.3.31) 飯能警察署 地域防犯推進委員就任 日本赤十字社社員増強推進委員就任 |
2017年4月 | 日高市地域福祉計画策定委員会委員(29.4.21~31.3.31) |
6月 | 社会福祉法人藤和会設立(特別養護老人ホーム)理事長就任 ≪58歳≫ |
2018年2月 | 株式会社ネクサス 代表取締役会長 ≪59歳≫ |
5月 | 藤和BCS事業協同組合 代表理事 組合長就任 |
10月 | 一般社団法人にこにこ福祉機構 (妻 美智代 理事長)専務理事 一般社団法人いきいき福祉事業団 代表理事 |
2019年2月 | 山手介護株式会社をM&Aにて取得 代表取締役 社長兼会長 ≪60歳≫ |
3月 | 「笑顔創生」 藤和グループ 山手介護(株) 創業60周年記念式典開催 |
7月 | 特許庁商標登録 第6160852号 「ミマモリー」登録証取得 |
11月 | 特許庁商標登録 第6193693号「金澤式リボーン点滴療法」登録証取得 |
2020年9月 | 特許庁商標登録 第6296440号「農体験型リボーンセラピー」登録証取得 |
10月 | リハビリ&フィットネス・元気アップ倶楽部 FC募集展開スタート≪61歳≫ |
11月 | 特許庁商標登録 第6313936号 「元気アップ倶楽部」登録証取得 |
2021年5月 | 特許庁商標登録 第6394452号 「元気のビタミン」登録証取得 |
4月6日 | 妻 美智代58歳がすい臓癌により6ケ月の余命宣告を受ける。≪62歳≫ |
9月16日 | 最愛の妻 加藤美智代がすい臓癌に依り没。享年59歳 ≪62歳≫ |
2022年2月 | パーキンソン病を発症 障害者認定 2級となる。 ≪63歳≫ |
9月 | 社会福祉法人藤和会 放課後ディサービス鴻巣 開所 |
2023年4月 5月 9月 11月 | 山手介護付き有料老人ホーム 四季の郷飯能(45床)開設予定 ≪64歳≫ 社会福祉法人藤和会 特別養護老人ホーム四季の郷越生(100床)開設予定 著書 苦難と復活・心と体のリハビリ物語 出版予定 リハビリ&フィットネス元気アップ倶楽部日高開設予定 介護付き有料老人ホーム四季の郷 皆野 開所予定 |
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・リハビリ&フィットネス元気アップ倶楽部 飯能 ・藤和マンション2 (RC3階) ・藤和マンション3 (RC4階) ・藤和マンション5 (RC4階) | ・放課後ディサービス 鴻巣 ・オクトマンション飯能 (鉄骨4階) ・ほっともっと日高店 |
・特別養護老人ホーム 四季の郷 上尾 100床 ・特別養護老人ホーム 四季の郷 越生 100床 ・介護付き有料老人ホーム 四季の郷 飯能 45床 |
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代表取締役 会長 加 藤 清