高橋広さんは1974年商学部/6 期卒業。現在は霞会副会長に選出され、2024年11月に予定されている「霞会50周年記念総会」の50周年記念誌編集委員長に就任されました。1974年第6回卒業式で同窓会を立ち上げられ、来年は霞会50周年記念総会、個人的にも卒業50年、同時に5期生の奥様と結婚されて50年になられると言うのは感慨深いことですね。TIU Sparks 掲載の国内外でご活躍されている同窓生の方々に感銘を受けられており、霞会創立50周年記念誌作成に数多くの同窓生に多大なご協力をお願いしたいと言われてい ます。
霞会の設立経緯と50周年記念総会に向けて
私は、1974(昭和49)年に卒業しました第6期生です。それまで、1965(昭和40)年に創立された本学には同窓会がありませんでした。 そこで、1973(昭和48)年10月27日に第 1期から5期までの卒業生 1,073名に対し、同窓会名簿作成のための通知を発送し 1974 (昭 和49)年1月27日、2月17日、2月25日に「同窓会発起人会」 「同窓会設立準備委員会」を開催し、会長に尾谷長彦さん、副会長に斎藤民穂さん、柴谷彰さん、事務局が私という体制を樹立しました。
1974 (昭和49)年3月25日の第6回卒業式の当日、第1期生の尾谷長彦さん (初代会長)に会場に来ていただいてご挨拶していただき、「同窓会設立のお知らせ」と「同窓会規約」が配布されました。金子泰蔵学長 (同窓会名誉会長) に同窓会の立ち上げについてお祝辞をいただき、会場出口で、同窓会設立の趣旨に賛同した卒業生から同窓会費を集めて、それを、三菱銀行に内定していた相良明君が、会場の川越市民会館の近くにあった富士銀行 (現、みずほ銀行)の川越支店に口座を開設したのが本学の同窓会の始まりです。
余談ですが、その1週間前の3月17日に、松本雅男先生のご媒酌で、5期生の家内と結婚式を挙げ、まだ学生でしたので、学割で切符を買い、家内が勤務していた日興証券の契約ホテルに宿泊して、近畿地方に新婚旅行に行ったことを思い出します。
また、卒業式で、金子学長から、ソントン賞をいただきました。秋霞祭実行委員を第5回の備品工作局長 (家内は記録局長でした)と第6回の実行委員長と2回やり、同窓会を立ち上げたりしたことが評価されたのかなと思っております。翌年の1975(昭和50)年は、本学創立10周年であり、「本学の草創期は、同窓会の設立をもって終了した」と大変喜ばれたとのことです。
それから、9月1日に事務局を深谷辰夫君に引継ぎ、10月1日に、山崎良太郎君の努力により第1期生 110名から第6期生 332名まで 1,380名の同窓会名簿第1号が発行され、秋霞祭期間中の1974 (昭和49)年11月3日に、 同窓会の設立総会が開催されたのです。
卒業後は、金融機関に勤務していたので、同窓会活動をするゆとりがありませんでしたが、1997 (平成9)年4月から松本雅男ゼミの5期生の吉野和典さんの推薦で監査、 2000 (平成12)年から 2008 (平成20)年まで会長の三宅ヨシロウさんの推薦で副会長、2009 (平成21)年から監査、2012 (平成24)年から常任幹事、2014 (平成26)年から一般社団法 人霞会の理事、2022 (令和4)年から副会長と26年も役員をやらせていただきました。その間、設立 30 周年記念総会実行委員長、40周年記念誌を総務委員長として担当しました。40 周年記念誌の編集で、シンガポール支部の海外で活躍する同窓生のプロフィールを掲載したことが、TIU Sparks の立ち上げのきっかけだったと聞いて大変うれしく思います。
早いもので、来年の11月の総会は、創立 50 周年記念総会になります。この記念すべき時を、皆さんとともに迎えられることは、この上なく光栄なことです。皆さんの大切な思い出を、創立 50 周年記念総会で形にしましょう。
私は、3度目のご奉公で、50周年記念誌編集委員長となりましたので、今までの「集大成」といえる記念誌を作成するつもりです。
TIU Sparks 掲載の国内外でご活躍されている同窓生の方々の姿に大変感銘を受けました。記念誌に盛り込む企画・情報等を皆さんから募集します。どうぞよろしくお願いいたします。
霞会(東京国際大学同窓会)設立30周年記念誌と東京国際大学同窓会40周年記念誌から
霞会 (東京国際大学同窓会) 設立30周年記念
同窓会設立30周年記念総会にあたり
実行委員長 高橋広
同窓会設立当時の記録を振り返ってみたいと思います。 本学創立の昭和40(1965)年4月に入学した第1期生が卒 業したのは、 昭和44(1969)年3月のことでした。この年は、全国で学生運動が激しくなり、機動隊の催涙弾や放水と、学生 のゲバ棒と投石という闘いが展開され、大学が次々とロックア ウトされました。 東大の安田講堂に過激派学生がたてこもり、遂に、学園紛争のため、東大の入学試験が中止という前代未聞の事態となった年でした。
本学においては、昭和46(1971)年6月から11月にかけて鹿島ゼミの存続をめぐる、いわゆる「鹿島問題」 がおこり、学生運 動の意識が高まり、第5回秋霞祭は緊迫した雰囲気のなかで開催されました。 このころ、1期生、2期生、3期生の中から、同窓会設立の気運が出てきました。
私の33年前の記録文書を紐解いてみますと、昭和46(1971) 年11月5日に新宿の喫茶店「しみず」で同窓会設立のために 会費徴収の動きがあり、12月5日、佐野さん、上杉さん、高地さん、筒井さん。 12月26日、尾谷さん、柴谷さん、荒井さん。 昭和47(1972) 年1月11日、吉安さん。2月9日、岩谷さん、池内さん。2月29日、新 宿の「茶房クィーン」で4期生への説明会があり鈴木(忠)さん、 平沢さん、高柳さん。3月11日、 酒向さん。4月19日、新卒業生の 第4期生の林隆雄さんから25人分。岩谷雅夫さんから西山ゼ ミの阿部さん、成瀬さん、岡本(龍)さんの分が菊地奈那さんへ送金されました。ここまで42名の会費を集めたところで、動きは約1年6ヶ月間停滞しました。
昭和48(1973)年10月27日、大学事務局の中西さんの協力 により、卒業生 1,073名に対し、同窓会名簿作成のための通知 が発せられました。 昭和49(1974)年1月27日午後1時から「紫苑」にて、同窓会発起人会があり、出脇さん、岸さん、相原さん、 斉藤(民)さんが会費を納入した時点で、私が事務局を引き継ぎました。 2月17日9時30分から中野サンプラザの集会室1で、また2月25日午後5時30分から、中野サンプラザのアイデアルームにおいて、同窓会設立準備委員会を開催し、会長に尾谷長彦氏、副会長に斉藤民穂氏、柴谷彰氏、事務局高橋広という体制を樹立しました。引き続いて、同窓会規約と同窓会員名 簿の作成に努力し、金子泰蔵学長に名誉会長になっていただけるようお願いしました。
昭和49年3月25日、第6期生の卒業式が行われた川越市民会館で、尾谷長彦会長があいさつをされ、「同窓会設立のお 知らせ」とタイプ印刷の 「同窓会規約」 が配布されました。同窓会設立の趣旨に賛同した卒業生から同窓会費を現金で集めて、すぐ目の前の富士銀行 (現みずほ銀行) の川越支店に口座の開設をしました。実質的な同窓会の設立はこの昭和49 年3月25日ということができます。卒業生332人中、約200人が会費を納入しました。そして、謝恩会の剰余金約10万円が同窓会の口座に振り込まれ、財政基盤が確立しました。
私は、卒業してから、名簿の作成や総会の準備などの事務局をやっておりましたが、銀行に就職していましたので、 時間的な余裕がなく、勤めている者には無理だと判断し、現役の学生である松本雅男ゼミの後輩の7期生の深谷辰夫君に昭和 49年9月1日から事務局を引き継ぎました。 そして、山崎良太郎 君の努力により1期生110名から6期生332名まで1380名の同窓会員名簿の第1号が発行され、ついに11月3日に設立総会が開催されたのです。翌、昭和50 (1975)年は、本学創立10周年の年であり、本学の草創期は、同窓会の設立をもって終了したと言ってもいいでしょう。
同窓会設立に貢献したのは第6回秋霞祭実行委員会のメンバーですが、第6回秋霞祭のテーマは「連帯と共感」です。あれから30年たち、会員が35,000名を越えた今、あらためて問われるのは、同窓会の絆とはなにかです。お互いが信頼し、助け合い、高めあいたいものです。「連帯と共感」を求めて。
30周年記念総会の講演会に、第11期卒業生の横山秀夫氏を講師としてお呼びできることと、大学事務局の中西泰幸氏と賛田茂則氏に感謝状をさしあげられる事は、大きな喜びです。祝賀会にも、期別幹事や実行委員の協力で、たくさんの人々が御 出席され、ゼミやクラブのOB会、支部会、同期会の輪が広がり、 「30周年記念誌」 と共に、思い出に残る総会にしたいと思います。
40th Anniversary KASUMIKAI
同窓会グラフィティ
夫婦親子で同窓会
30年前、卒業式の1週間前の昭和49年3月17日に、松本雅男先生ご夫 妻のご媒酌で結婚しました。 私は、同窓会設立準備委員会に忙しく、結婚式の準備もそっちのけで奔走していました。協和銀行に就職が決まって いましたが、入社前でしたので人事課長さんを主賓にお呼びしました。家内は前年卒業して日興證券の国際金融部にいましたので、上司の課長さんを主賓にお呼びしました。 まだ学生でしたので、お金がなく、学割で新婚 旅行に行き、日興證券の社員割引で宿泊しました。 卒業式にいただいた「ソ ーントン賞」の副賞の現金は、飲み会と引越し費用で消えてしまいました。
20年前、次男克治が2歳のころ、重い心臓病のため手術を受けることに なり、たくさんの献血が必要と言われ、剣道部のOB会を通じて体育会に協力をお願いしました。ところが、 当時、学生のほとんどが自分の血液型を 知らない状態でした。結局手術は中止になったのですが、それ以来、体育会(藍旗会)の名簿には、血液型の欄ができたということです。その際、学校や会社を休んで血液検査に来てくださったたくさんの方々に、あらためて心から感謝申し上げます。同窓会のありがたみをつくづく感じました。 今、少しでも恩返しをと思って活動しております。
その彼も、自分で選んで東京国際大学に入学し、マーケティングを勉強して昨年卒業し、 (株) 新星堂に就職して、本社のEC卸営業部でEコマー スの仕事をしております。
高橋広 (第6期卒)
松本雅男管理会計ゼミ
第5回秋霞祭備品工作局長
第6回秋霞祭実行委員長
高橋 美紀子 (第5期卒)
清水川繁雄経済原論ゼミ
剣道部・ESS
第5回秋霞祭実行委員会記録局長
高橋 克治 (第35期卒)
金琦マーケティングゼミ
1972(昭和47年11月2日)
第6回秋霞祭の前夜祭
提灯行列の先導をする高橋広実行委員長と山田俊正大学事務局長(画像)
(松本雅男先生「米寿」祝賀会、最前列右端二人が私ども夫婦です)
(退職記念を長男次男一家と)
(高橋広さんプロフィール) |
1969(昭和44)年3月 | 県立富山高等学校卒業 |
1970(昭和45)年4月 | 国際商科大学(現東京国際大学) 商学部入学 |
1974(昭和49)年3月 | 同 卒業(6 期卒・松本雅男ゼミ・第6回秋霞祭実行委員長) |
1974(昭和49)年4月 | (株)協和銀行(現りそな銀行)入行 |
1979(昭和54)年9月 | 退職 |
1979(昭和54)年10月 | (株)英弘社入社 |
2016(平成28)年3月 | 同 (関連会社)代表取締役歴任)退職 |
2018(平成30)年2月 | (有)人智開発研究所(デイサービス事業所)入社 |
2021(令和3)年7月 | 同退職 |
2022(令和4)年3月 | 介護福祉士登録 |