第1 はじめに
はじめまして。東京国際大学経済学部を2012年に卒業しました、石渡次郎(いしわた じろう)と申します。卒業後は、同年4月、慶應義塾大学法科大学院の未修者3年コース(他学部出身者や社会人経験者などの法曹養成コース)に進学、2015年3月に同大学院を修了しました。令和元年9月に司法試験に合格し、現在は、東京の八王子市にある法律事務所にて、弁護士として働いております。
今回は、貴重な投稿の機会を頂戴し、ありがとうございます。以下、私の経歴と、人生において東京国際大学での学生生活が与えてくれた影響を、簡単にご紹介させて頂ければと思います。
第2 出生から大学進学まで
1 出生から児童養護施設入所まで
私は、神奈川県鎌倉市で生まれ、父親・母親・兄と、同県の葉山町で暮らしていました。
ところが、私が4歳の頃に、母親が病気になり、間もなく他界しました。父親は、母の死因をあまり語ろうとしませんでしたが、何らかの癌だったようです。年齢が幼かったこともあり、私の中では、母親と手をつないでいたりした記憶が、薄っすらあるくらいです。
その後、兄は、事情があって別のところで暮らすこととなりました。父親は、男一人で私の面倒を見られず、学校に通わせてくれない時期もありました。そのため、私は、横須賀児童相談所に一時保護されて、県内の児童養護施設に入所しました。児童養護施設とは、親がいなかったり、親がいても虐待等で一緒に暮らせない場合に、児童たちが肩を寄せ合って共同生活をする場所です。
(母親との写真)
2 施設入所から退所まで
施設では、3食ご飯を食べられるし、学校にも通えるし、規則正しい生活も送れます。でも、施設で辛いこともありました。それは、児童から児童に対する虐めです。私の推測ですが、おそらく、親から虐待を受けた子が今度は自分が他の子に手を出してしまったり、施設で年長者に虐められた後、自分が年長者になって年下の子をイジメてしまっているのではないかなと、思われます。
施設にいても、親の状態や関係性等によって、親と面会したり外出できる時もあります。私は、父親が定期的に会いに来て外泊等をしていました。
ある日、私が外泊をした時に、施設内での年長児童からのイジメに耐えられずに、父親に対して、「もう(施設に)戻りたくない」と強く訴えてしまいました。施設にいた頃、職員さんたちも、イジメに目を光らせてくれていたのだとは思いますが、24時間ずっと子どもたちのことを見ていることは出来ないので、いじめっ子は職員さんの目が届かないタイミングを突いてくるのです。いじめが許される訳では決してありませんが、自分の感情をコントロールできない年齢の時に、感情のはけ口が暴力になってしまうのは、無理もなかったのかも知れません。
3 家庭復帰してから兄との再会
そんなことがあり、私は、施設入所から数年を経て、家庭復帰を果たしました。
家庭復帰後は、父親と一緒に暮らしながら、小学校に通いました。ただ、父は、母が病気になった際にくも膜下出血で倒れた時の後遺症が残っており、その父を支えながらの生活でした。ご飯も出来合いのものが多く、お世辞にも良い生活環境とは言えませんでした。
中学校に進学した1年生の年明け、父は急性心不全で他界しました。前日の夜も、いつも通りの父だったので、特に話し込んだりもせず、もっともっと話しておけばよかったと、後悔ばかりが残りました。結果的に限られた時間となりましたが、あんな生活環境でも、父と一緒に生活できて幸せでした。
父が亡くなってからは、親族の人が駆けつけてくれて、兄とも再会できました。また兄と一緒に暮らすようになったのですが、お互い育った環境が違ったこともあり、1年もしないうちに、共同生活が難しくなってしまいました。
4 保護司さんや塾の先生との出会い
ご縁があって、とある保護司の方が私の面倒を見てくれることとなり、居候させていただく形で、中学3年生の頃に横浜市の学校へ転校しました。
当時の私は、人に挨拶することも出来ず、「この子は大丈夫なのだろうか」と思われてしまうような状態だったので、挨拶の仕方など一から教えてもらいました。また、勉強面でも、中学3年で掛け算九九も分からなかったので、塾に入りました。正直、机に向かって勉強したことが無かったので、基礎学力が無さ過ぎて、入塾を断られるのかと思いましたが、なんとか入れてもらえました。
その後、無事に高校進学を果たし、保護司さんの家から学校へ通うようになりました。一方、亡父親の件で親戚から色々と言われたり、面倒を見てくれているとはいえ保護司さんの家はあくまで他人様の家だったので、終始敬語で話しており、当時高校生だった頃の僕には、贅沢な悩みかも知れませんが、かえって窮屈な環境に感じてしまっていました。
授業にはしっかり取り組むようになりましたが、今まで受験勉強を訓練してきた子たちとの競争に勝ち抜くことは難しく、1年浪人して、大学に進学しました。
第3 自分の進路を決めた、東京国際大学での学生生活
私は、どこの大学に行っても、成長できるかどうかは自分の心構えと行動次第だと思っていましたが、どうせ進学するなら、学生の応援に熱心な大学を選ぼうと思い、東京国際大学に決めました。
私は、大学に入学したら、何事にも積極的に取り組もうと思い、色んな人との出会いを大切にしようと思いました。具体的には、日本人の学生だけでなく、東京国際大学には留学生が沢山いるので、色んな国の文化や価値観を持つ人たちと交流するように心がけました。その過程で、自分の人生経験を話す機会もあり、過去の経験が当時の年齢からすると貴重な人生経験であることに気付きました。
他方、大学の勉強では、所属は経済学部でしたが、哲学などの教養や経営学・法学といった他分野にも興味があったので、興味の赴くままに勉強をし、振り返ってみると教養学部の学生のような履修をしていました。
このように、数年間の大学生活で、自分の人生経験を何らかの形で活かして社会貢献したいという気持ちが現れると同時に、その方法として、自分も未成年の時に関わる機会の多かった法律家となることが良いのではないかと考え、弁護士の道へ進もうと思いました。
弁護士になるためには司法試験を突破する必要があり、その司法試験に突破できる可能性が高く、かつ人脈も強固なロースクールで学びたかったので、慶應義塾大学の法科大学院に進学することにしました。
(拙著にも御登場いただいた、TIUで知り合った三須彰さん)
第4 法科大学院へ進学・浪人時代
法科大学院では、司法試験に合格するために必要な能力を、3年間という限られた時間で体得しなければいけないため(後述のように、結局、私は合格まで7年間かかりましたが)、通学していた期間は、正直、無我夢中で勉強していた記憶しかありません。法律の勉強の仕方がよく分からないまま、日々の授業のため、膨大な予習・復習をしなければいけなかったので。
中々結果に表れず、何度も心が折れそうになりましたが、ロースクールで出会った仲間たちが応援してくれた上、東京国際大学で出会った友人や、お世話になった先生たちが励まし続けてくれたお陰で、受験勉強を続けることができました。本当に、感謝しております。ありがとうございました。
(拙著にも御登場いただいた、慶應ロースクールで知り合った、岡本成美君)
第5 司法試験に合格、司法修習へ
令和元年9月10日、私は司法試験に合格できました。弁護士になろうと覚悟を決めて勉強を始め、勉強中ずっと止まっていた人生の歯車が、ようやく動き出しました。
同年12月から、大学生活を過ごしたのと同じ、埼玉県内で司法修習(医師で例えると、研修医みたいな期間です。)をしました。司法修習というのは、各自が裁判官・検察官・弁護士になる前に、実際に裁判所や検察庁、法律事務所などで、実務を見て学ぶ期間です。私の場合は、司法修習の前半からコロナウィルスが蔓延してしまいましたが、限れたリソースを最大限に活かして、修習を終えられました。修習の時に出会えた同期は、今でも交流がありますし、一生の宝物です。
(司法修習中に出会った髙島啓志君。土用の丑の日にうなぎを食べることとなったのですが、コロナ禍で規制中だったため、テイクアウトして、近くの公園で食べました。)
第6 弁護士登録、現在へ
弁護士登録してから間もなく、司法修習時代にお世話になった元教官(司法研修所という、司法修習の母体となる研修機関みたいなものがあるのですが、そこで教える立場の教師を、「教官」と呼びます。)の事務所で、働かせていただくことになりました。それが、現在在籍している、八王子にある南多摩桑都法律事務所です。
本稿を作成している令和6年9月時点で、弁護士登録をして4年目となりますが、本当にあっという間です。普段は、いわゆる町弁として、離婚や相続、後見、交通事故や労働事件、借金のご相談など、何でも屋みたいな感じで、色々やっています。
また、通常業務以外に、子どもの権利委員会という団体(委員会というのは、弁護士のうち、子どもやご年配の方、消費者や労働問題など、特定の問題領域について有志で集まり、多方面にわたる公益活動等をする人たちの集まりで、正確な例えではありませんが、イメージでいうと、大学のサークルに近い組織です。)にも所属し、児童福祉に関する活動に関心を持っています。
子ども関係の活動としては、①児童養護施設を巣立った子たち(入所中の子も含む。)からの相談を受ける、②親子が引き離されてしまった場合に、親側の代理人(依頼を受けるかどうかは、慎重に判断しています。)として、児童相談所との間のクッション役に入って、家庭復帰に向けた交渉を行う、③児童養護施設の卒園生として、八王子市内の養護施設の子たちに向けて、職業紹介等をする、④親がいない等の理由でその子の未成年後見人となって財産管理等をする、⑤里親希望の方へ特別養子縁組の法制度をご説明する、⑥電話やLINEで子どもからの相談を受ける、⑦小・中学校に行っていじめ予防授業を行う、といったことをしております。
最近では、私自身も社会的養護環境にいたため、施設にいる子や卒園生の前でお話をすることもあり、今後どのような形で当事者性を活かした活動をしていくのか(そもそも、そういった活動をするのか含め)、考えながら過ごしております。
こういった形で、私が子どもに関係する活動に興味を持っているのは、おそらく、自分自身が、親ではないけれども支えてくれる人たちのもとで育ち、今度は自分が、困難な状況に直面している(あるいは、するかもしれない)子たちのために、少しでもその子たちのための役に立てるであれば立ちたい、という想いがあるからだと思われます。
今後も、弁護士として、色々な活動に取り組んで参りたいと思いますので、皆様、同じTIUの卒業生として、よろしくお願いします。
(石渡次郎さんプロフィール) | |
〈経歴〉 | |
神奈川県出身 | |
2007年3月 | 横浜高等学校卒業 |
2012年3月 | 東京国際大学経済学部経済学科卒業(総代) |
2015年3月 | 慶應義塾大学法科大学院修了 |
2019年9月 | 令和元年司法試験合格 |
2020年12月 | 第73期司法修習生(さいたま)修了/弁護士登録(第一東京弁護士会) |
2021年5月~ | 南多摩桑都(“そうと”)法律事務所勤務(東京都八王子市) |
南多摩桑都法律事務所 – 京王八王子駅から徒歩3分の法律事務所 (minamitama-law.com)
TEL : 042-649-3128 FAX:042-649-3129
第一東京弁護士会多摩支部/同子どもの権利に関する委員会委員/同司法修習委員会
〈著書〉
・『児童養護施設を経て弁護士になるまで~今がつらくても』(YOMiTA!)
Amazonで検索をすると、電子書籍が出てきます。令和5年中に私の手元に届いた印税は、多摩地域の児童養護施設に電子書籍をプレゼント際の原資に活用させていただきました。令和6年以降も、子ども関係の活動のために活用する予定です。
〈投稿〉
・日弁連子どもの権利委員会 2023年4月1日 『子どもの権利ニュース』(共著)
・NIBEN Frontier 2023年10月号 『少年とともに』(共著)
※いずれも、2023年2月に長崎で実施された「第33回全国付添人経験交流集会」に関する報告レポート(子どものLINE相談に関して)です。
〈業務内容〉
・離婚(男女問題含む)・不貞・相続・後見・児童相談所などの家族に関すること
・残業代や不当解雇等に関する労働問題(使用者側が多く、労働者側も経験あり)
・交通事故
・借金整理(分割払い等の任意整理や過払い金請求・民事再生・自己破産)
・刑事事件
など、日々様々な業務を取り扱っております。
普段の業務では、可能な限り一人一人の依頼者に寄り添った仕事を心がけております。