陸上自衛隊で33年間勤務。パキスタンでの防衛駐在官、東日本大震災での災害派 遣など多くの経験をさせてもらいました。
嶌末 真さん 1985年卒 教養学部国際学科 川崎孝子ゼミ 体育会卓球部

自衛隊指揮通信システム隊司令室にて(退官日)
自衛隊指揮通信システム隊司令室にて(退官日)

東日本大震災-大滝根レーダーサイトにて君塚災統合部隊指揮官に通信部隊の展開状況を報告TIU卒業は、昭和60年でした。大学を卒業すると福岡県久留米市にある陸上自衛隊幹部候補生学校に入校。そこで約1年間厳しい訓練を受け、最初は青森の第9通信大隊に配属。青森で中隊長上番中に指揮幕僚課程(旧軍の陸軍大学に相当)に合格。 卒業後は、陸上幕僚監部、通信大隊長、パキスタンでの防衛駐在官、情報本部や統合幕僚監部での勤務を経て、平成21年から仙台において東北方面通信群長として勤務、東日本大震災での災害派遣に参加するなど数々の経験を積むことができました。

幹部候補生学校での厳しい訓練~部隊への配属~指揮幕僚課程への合格
幹部候補生学校幹部基礎課程総合訓練(地獄の100キロ行軍)私は、一般幹部候補生として入隊しましたので入隊後の半年間は防衛大学校卒業生や部内の幹部候補生と異なり、基本教練、射撃、戦闘訓練、格闘、救急救命法、地図判読などの自衛官としての基本教育から部隊の指揮官たる統率や戦術など盛りだくさんの教育を受けました。
一番苦労したのが体力。ずっと卓球をやっていたので体力には自信があったのですが、自衛隊の体力錬成はレベルが違います。卒業前の総合訓練では、100キロの道のりを30キロの装具をつけて不眠不休で行軍した後、攻撃するという厳しい訓練を体験しました。
最初の配属は、青森の第9通信大隊、そこに8年おりました。今でも津軽弁のヒアリングはOK。第9通信大隊では小隊長、大隊本部、師団司令部での勤務、そして中隊長と現場のあらゆる職務を経験することができました。わずか20代の若造小隊長がいきなり自分の父親くらいの古参軍曹から若い隊員と多くの部下を持ちます。現場の師匠は小隊陸曹、経験豊富で人格も素晴らしい方でした。若造小隊長を根気強く育ててもらいました。今でもその方とは家族ぐるみのお付き合いをさせていただいてます。中隊長上番時に旧軍の陸軍大学に相当する指揮幕僚課程に合格、平成5年から2年間、市ヶ谷の幹部学校で上級幹部になるための教育を受けることができました。

陸幕での地獄の勤務、師団通信大隊長として第一線部隊長に
指揮幕僚課程卒業後、いきなり陸上幕僚監部調査部に配属されました。そこでの業務の内容は細部申すことはできませんが、それは厳しい任務でした。結婚して間もなかったのですが、毎日官舎に帰れるかではなく、今日は何時間寝られるかという超ブラックな勤務環境。しかし一歩外に出ると華やかな六本木でした。平成7年から4年間、六本木で勤務した後、平成11年から2年間、兵庫県伊丹市で通信大隊長として久しぶりに現場に復帰、約300名の部下を持つ部隊長になりました。素晴らしい上司・同僚・部下に恵まれ、また、北海道での約1か月におよぶ北転演習に参加するなど、素晴らしい経験をさせてもらいました。

パキスタンでの防衛駐在官の勤務~帰国直後の国際緊急援助隊への参加
平成14年から3年間、パキスタンで防衛駐在官として勤務しました。防衛駐在官とは防衛省から外務省に出向し外務事務官として大使館などの在外公館に勤務する自衛官のことを言います。自衛官の階級を呼称するとともに制服を着用して、派遣国の国防関係者や各国武官との交流・情報収集を行うほか、我が国の防衛政策に対する国際的理解を深める活動などを行います。当時は米国での9.11テロの直後、治安が急速に悪化し、対テロ戦の第一線での勤務でした。妻と二人の子供(小学生)を伴って赴任していた ので家族を含む在留邦人の安全確保にも気を配りました。子供たちは武装警備員による警護を受けながら、毎日学校に通うという貴重な経験もしました。

自衛隊記念日レセプションにて

当時のパキスタンはムシャラフ大統領が陸軍参謀総長を兼務する所謂軍事国家でしたので大使館における防衛駐在官の果たすべき職務も多く、TIUの創学の精神である「真の国際人」を胸に厳しい職務をこなすことができました。
3年間の素晴らしい勤務を終え帰国直後の平成17年、パキスタンにおいて大規模な地震災害が起き、陸上自衛隊から国際緊急航空援助隊が派遣されることが決定、私は防衛駐在官の経験をかわれ対外調整チーム長として国際緊急援助任務に参加することになりました。現地において防衛駐在官時代に培った人間関係が大いに役に立ち、厳しい任務でしたが何とか隊の任務達成に貢献することができました。

東北方面通信群長への上番、東日本大震災での災害派遣
パキスタンでの国際緊急援助隊としての任務を終え、情報本部、統合幕僚監部で勤務した後、平成21年から2年半、東北方面通信群長として仙台で勤務しました。群長とは約千人の部下を持ち、東北地方の陸上自衛隊全体の指揮通信システムに責任を有する非常にやりがいのある職務です。
素晴らしい上司・同僚・部下に恵まれ群長として充実した勤務を送っていたところ、平成23年3月11日、あの東日本大震災が起きました。東北地方の民間通信ネットワークは全てダウンしましたが、防衛省自前の専用回線は生き残り、そこから野外通信回線を全国から集結する部隊の司令部等へ構成し、JTF(災統合任務部隊)の任務達成に貢献することができました。不眠不休の数か月間でしたが、ここが自分の自衛官としての正念場だと思い、精一杯頑張りました。改めて不眠不休で頑張ってくれた当時の部下隊員に敬意を表するとともに地震でお亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。

33年間勤務した陸上自衛隊を万感の思いで卒業
通信群長下番後、サイバーを司るシステム防護隊長、研究本部での勤務を経たのち、平成28年12月から防衛省自衛隊全体の指揮通信システム・ネットワーク・サイバー防衛を担任する自衛隊指揮通信システム隊司令に上番。平成30年8月1日に陸将補に特別昇任させていただき、大好きだった陸上自衛隊を卒業することができました。

現在は、一般社団法人 日本防衛装備工業会の調査部長として、海外を飛び回ってます。また、霞会東京首都圏支部に入会させていただき同窓生とも親交を図らせていただいてます。憲法9条の問題もあり継子扱いの自衛隊ですが、今や国民の90%以上が肯定的な印象を持つ素晴らしい組織です。また、非常にやりがいのある職務ですので、是非後輩の皆さんも一般幹部候補生に応募してほしいと思います。


(嶌末真さんプロフィール)

  • 1985年3月 陸上自衛隊幹部候補生学校入校
  • 1999年8月 第3通信大隊長
  • 2002年6月 在パキスタン防衛駐在官
  • 2005年12月 情報本部情報調整官
  • 2007年8月 統合幕僚監部指揮通信システム運用班長
  • 2009年3月 東北方面通信群長
  • 2011年8月 システム防護隊長
  • 2014年3月 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官
  • 2016年12月 自衛隊指揮通信システム隊司令
  • 2018年8月 陸将補に特別昇任の上、退官
  • 2019年1月 一般社団法人日本防衛装備工業会 調査部長

    TIU 霞会シンガポール支部