大学時代の資料探し 学問への情熱 TIUを知るきっかけ 高校時代の留学経験 ※スティルウォーター・シニア・ハイスクール:歴史的背景、主な特徴、著名な卒業生
この原稿を執筆するにあたり、久しぶりに大学時代の資料、書類、卒業アルバム、書籍などをあちこち探してみました。確か、大学時代の成績表を大学院進学の際に取り寄せた記憶があり、コピーしてどこかにしまっておいたはずですが、結果として見つけることができませんでした。今年で大学を卒業してから33年目になりますが、これまで国内外を12回ほど引っ越しました。引越しのたびに家族も増え、荷物を最小限に減らさざるを得ませんでした。学生時代に読んで感動し、名著として選定した書籍は、どこでも再読できるように全ての引越先に運搬していました。最近の引越しまで、大学時代のお気に入りの授業の講義ノートを捨てられず保管していましたが、昨年11月の引越しの際に荷物を減らすために講義ノートを捨ててしまい、後悔しています。
これまでは時折、当時感動した先生方の講義ノートや教科書、講義で紹介された名著を読み返すことで、新たな学問、アカデミズムに触れ、学生時代の気持ちを思い出していました。私は頭が良くなく、成績もあまり良くないのですが、小さい頃から新しいことを学ぶことが好きで、決して勉強することは嫌ではありませんでした。大学TIUに進学し、素晴らしい先生方からアカデミズムという新たな学問の世界に導いていただいたことは、私にとって非常に刺激的で、学問の楽しさをさらに深く理解する機会となりました。学生時代に感じたあの時の感動を忘れることができず、社会人になっても当時の気持ちを思い出したくなります。
私がTIUを知ったきっかけは、高校時代の英語教師からの紹介でした。その教師はTIUを視察してきたらしく、「埼玉県の川越にありながら東京国際大学という名であるが、今後の日本の国際人を養成する素晴らしい大学がある。米国オレゴン州のウィラメット大学という大学に留学できる制度もあるお薦めの大学である」との触れ込みでした。
高校時代に米国に留学したことで、日本の高校を1年間休学し、4年間かけて高校を卒業しました。そのため、浪人することなく確実に入学できる大学に進学したいと考えていました。大学入試の受験料を節約するため、大学受験はTIU一本に絞り、もしTIUに受からなかった場合は大学には進学せず、働くつもりでした。できれば運よく給付生となり、学費免除を受けて在学中に米国の大学に留学したいと思っていましたが、そんなに世の中は甘くありませんでした。
スティルウォーターはミネソタ州で最初の学区であり、スティルウォーター・ハイスクールは1873年に設立された長い歴史を持つ学校です。スティルウォーター・ハイスクールは、オリンピックのクロスカントリースキー金メダリストであるジェシー・ディギンズや、元ホワイトハウス首席補佐官で現米国退役軍人長官のデニス・マクドノーなど、多岐にわたる分野で著名な卒業生を輩出しています。これらの卒業生の存在は、同校が高い教育水準と多様な才能を育む環境を有していることを示しています。


全米トップクラスの聖歌隊に参加(NYでのコンサート)
上述のとおり、私は高校2年生の夏から約1年間、米国に留学する機会に恵まれました。留学先は、ミネソタ州の対岸に位置するウィスコンシン州との州境にあるスティルウォーター市のStillwater Senior High Schoolでした。日本では2年生でしたが、留学先では3年生に編入しました。この高校時代の米国留学が私の人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。
何も知らずに選択したChoir(聖歌隊)の授業は、実は全米トップクラスの優れたプログラムでした。我が校は幸運にも全米の高校の中から選抜され、ニューヨーク(NY)のセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂(Cathedral of St. John the Divine)で開催される全米高校Choirのコンサートに招待されました。運良く私はこのNYでのコンサートのメンバーに選ばれました。NYでのコンサートやリハーサルの前後には、マンハッタンの摩天楼を散策したり、ブロードウェイ・ミュージカル(コーラスライン)を観劇したりしました。NYの各通りから見上げるビル群の壮大さには圧倒されました。
宿泊先近くのペン・ステーションで朝に見かけたトレンチコートをまといアタッシュケースを携え颯爽と歩く日本人ビジネスマンは、とてもクールでスマートな格好良さ、洗練さを感じました。当時、9.11でなくなった今は無きWTC(ワールド・トレード・センター)のツインタワーを見上げながら、将来このNYのマンハッタンで仕事をする自分を思い描き、ここで働いて挑戦したいと切望したのを覚えています。当時のNYは私に大きな夢やチャレンジ精神を与えてくれました。(実際にはそうした人生にはならなかったが。)

今後の人生に影響を与えたメキシコ訪問
さらに私の人生に影響を与え、それからの人生の方向性を決める出来事がありました。それは、NYで開催されたコンサートから戻った後に体験したメキシコ訪問でした。ホストファミリーは毎週末欠かさず教会に通う敬虔な長老派教会(Presbyterian Church)の信者でした。私の宗教は神道でしたが、留学中は米国の家族と一緒に教会に通い、青年部(Youth Club)に参加していました。そこで、教会活動の一環として、高校生によるメキシコでの教会建設を手伝うボランティア活動に参加することになりました。(この活動費は、教会の信者の方々からの寄付により賄われました。)
米国・ミネソタ州スティルウォーターからメキシコ・チワワ州の小さな村(村名は忘れました)まで、牧師さん2人が交代でスクールバスを運転し、国境を越えるという米国をほぼ縦断する旅でした。ボランティアの拠点・キャンプとなった米国側テキサス州エルパソまでは、スクールバスの中で2泊してたどり着きました。ミネソタ州スティルウォーターからの距離は最短でも1,399マイル(約2,251㎞)で、日本で言うと札幌市から福岡市までの距離に相当します。その後、エルパソから国境のリオ・グランデ川を渡り、メキシコ国境都市のシウダード・ファレスに入り、チワワ州の小さな村の教会建設現場に通いました。
陸路で国境を渡ったのは初めての経験でした。目には見えない国境を米国からメキシコに渡った瞬間、その雰囲気や空気感が一変したことに衝撃を受けました。同時に、対岸のメキシコ側の国境にはフェンスが敷かれており、米国への入国を待つ多くの人々がごった返している様子を見て、米国とメキシコの格差を目の当たりにしました。豊かな米国社会と貧しいメキシコとの格差に違和感を越えた怒りを感じたのを今でも鮮明に覚えています。この状況を何とか良い方向に改善したいと本心から感じました。当時はまだ17歳の高校生で、とても純粋だったようです。この体験は今でも鮮明に蘇り、その後の私の人生や仕事にとって重要な意味を持っています。
もはやNYの摩天楼でビジネスパーソンとして世界経済の中心で仕事をする自分の姿はすでに吹き飛び、先進国以外の途上国の地域や国々に関わって暮らし、仕事をすることが自分にとってやりたいこと、自分の人生の役割、天職ではないかと思うようになりました。この時の思いが、私の今後の人生のこだわりとなり、良くも悪くも大きく影響しています。

高校時代の思い出 楽しかったTIUでの学び ゼミ以外に感銘を受けたTIUの先生方の講義 学生生活(インカレサークルISA活動、アジア訪問)
日米で4年間過ごした高校時代、私のもっぱらの関心はギリシャ哲学にあり、ソクラテスやプラトンに傾倒していました。特に、絶対的な真理や善の存在を追求し、プラトンの『国家』を何度も繰り返し読みふけり、イデア論や国家論を理解しようと必死でした。当時の私は、受験勉強から逃避していただけかもしれませんが、素直になれず、ひねくれていたと思います。
そんな私を見かねて、東京教育大学の哲学科出身である恩師の村田先生が放課後に哲学好きな私の関心を満たし、ご指導してくださいました。今でも記憶に残る村田先生との一番の思い出は、先生が学生時代に研究していた英国の政治哲学者トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』の原書を先生の解説を受けながら読んだことです。とても難解な著作でしたが、先生に教えてもらいながら、自然状態、自然権、自然法といった言葉の定義を英語と日本語で理解し、先生と一緒にじっくり読み込んでいく学習でした。村田先生には、学ぶことの楽しさ、特に原書から読み解く学びの楽しさを教えてもらいました。
こうした経緯を経て、TIUに入学しました。TIUでは、私の知的好奇心を満たしてくれました。もっと知りたい、学びたいという姿勢で先生方にアプローチすると、ほぼ全ての先生方が対応してくださいました。TIUには、学問追求に熱心で、教育者としても素晴らしい先生方が多く、私は良い恩師に恵まれたと思っています。TIU時代は、学内では学ぶこと、研究することに集中し、学外ではインカレサークルに所属して、全国の学生や世界の学生たちと交流することに専念した充実した学生生活でした。後述しますが、研究熱心だったため、1年留年して5年間の大学生活を過ごしました。
1~2年生時のゼミは、左治木吾郎先生のゼミに所属し、川田侃先生の著書『国際政治経済学をめざして』を教材として、国際政治経済学を学ぶための米ソ冷戦構造や南北問題などの基礎を教えてもらいました。ソ連のゴルバチョフ政権下のペレストロイカやグラスノスチとともに政治改革が進められた時期、その後の東欧革命、天安門事件、ベルリンの壁の崩壊、ソ連崩壊につながる社会主義諸国の激動の時代でした。左治木先生はロシア経済や社会主義経済などもご専門だったため、その当時に起こる様々な事象について多くの質問をしたり、時間が足りない場合は先生の研究室に押しかけたりして、いろいろとご指導、ご教授いただきました。さらに左治木先生には、上級生のゼミや合宿にも誘っていただき、私の知りたい、学びたいという好奇心を大いに満たしていただきました。
3~5年生時のゼミは、小林多加士先生の中国研究演習のゼミに所属し、ご指導いただきました。小林ゼミは中国の地域研究を学ぶゼミでしたが、私の関心は当時揺れ動いていた社会主義体制の全般的な危機をこれまでの歴史社会理論上どう捉えるかということでした。小林先生は中国研究のみならず、世界システム論や比較文明論なども研究されていました。私は小林先生の指導の下、社会主義体制に影響を与えてきたマルクス歴史社会理論、アルチュセールの構造主義的社会主義、アンドレ・グンダー・フランクの従属理論、サミール・アミンの新従属理論、ロベール・ボワイエなどのレギュラシオン学派、イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論、田中明彦の『新しい中世 相互依存の世界システム』などの著作物を読み漁り、卒論を執筆する準備をしました。当時のワープロで執筆したので、メモリー機能がなく卒論は残っていませんが、確かテーマは「社会主義の全般的危機と歴史社会理論の再検討」だったと思います。小林ゼミでは、ゼミの合宿に参加しましたが、大学院生のゼミにも参加させてもらい、とても知的好奇心を刺激してもらいました。何となくこのまま大学院に進学する感じでした。
ゼミのみならず、感銘を受けた講義は以下のとおりです。
太田秀通先生の歴史学
西洋史学者である太田先生からは、世界史認識の思想と方法をはじめ、歴史を学ぶ楽しさを教えていただきました。紀元前のギリシャやクレタ島で使用されていた線文字Bの解読に関する歴史ロマンに感銘を受けました。アジア的生産様式の解釈などの講義も最高でした。アカデミズムの素晴らしさ、楽しさを教えてもらいました。
伊東博先生の教育学
援助する教育という理論に感銘を受け、その重要性を学ぶことができました。講義後は何度も先生の研究室を訪ね、さらに深い講義を受けました。教育も援助することと一緒であるとの考えには共鳴し、その後の途上国勤務にも活かしました。
大越康夫先生の憲法論
憲法9条を中心に憲法についてしっかり教えてもらいました。
引田隆也先生の政治思想史
とてもわかりやすく、ギリシャから現代までの思想史を網羅的に教えてもらい感銘を受けました。
下羽友衛先生の国際関係論
国際関係分析の方法論を教えてもらいましたが、紛争解決の研究者はその紛争地帯の現場に行って活動しながら分析することが重要であると熱弁していたことが印象的でした。
枇杷木賢生先生の国際経済学
一般教養の講義で基本的なことを教えていただきました。いつもジーンズでブーツを履いていた姿に憧れました。最近、米国テキサス州に出張して、念願のテキサス仕込みのブーツを購入することができました。
原彬久先生の国際政治学
モーゲンソー研究で有名で、政治的リアリズムについて教えてもらいました。学生時代にはカントのような理想的な国際政治学があるのではないかと疑問を持ちながら講義を受けていましたが、社会人になり中東アフリカ地域に関わることで、原先生が語っていた政治的リアリズムの重要性をより実感することができました。
杣正夫先生の日本選挙制度史
当時はあまり興味がなかったが、この講義を履修したことで、選挙を通じて日本政治史を理解することができました。このアプローチは新鮮でした。
富塚俊夫先生のアラビア語
2年間第二外国語としてアラビア語を教わりました。社会人となり中東地域に関わるきっかけとなったようです。
白井洋子先生のアメリカ史
ラス・カサス著の『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を読んでレポートを提出しましたが、植民地主義の時代を擁護するような頓珍漢なレポートを提出してしまったことを今でも後悔しています。
学内にいる時は、一生懸命勉強していた記憶が残っています。勉強は好きでしたが、頭が良くないので成績はそれほど良くなかった気がします。学外では、日本国際学生協会(ISA:International Student Association of Japan)という、当時全国に700名ほどの学生が所属する協会の東京支部に所属していました。TIUの先輩に誘われてISAに入会し、学生時代は学内では勉強、学外では海外の学生との交流や国際会議開催などの活動に費やしていました。TIUで講義を受けていない時は、四谷にあった東京支部の事務所に通い、都内の学生たちと勉強会を開催し、国際会議や海外の学生との交流会の企画・準備をしていました。
学生時代は、休みの期間は短期バイトをして10万円程度稼ぐと、そのたびにタイに出かけていました。タイのバンコクをベースに、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピンなどを訪問し、各国の学生たちと交流していました。本当はもっと遠くに行きたかったのですが、あまり稼げず、学生時代はアジアまでしか行けませんでした。
1989年2月から4月にかけて、タイ、ネパール、パキスタン、アフガニスタンを訪問する機会に恵まれました。これは、私がISAの団長として、ネパールとパキスタンの学生団体と交流会を開催するイベントでした。ネパールでは、トリブバン大学(Tribhuvan University, TU)との交流会で、地方の現状を視察しようということで、地方都市のポカラに移動し、車両が入れない山岳地帯を3日間歩いて、各農村の農家に泊まりながら現地の村の有力者、小学校や病院などを視察しました。
パキスタンでは、カラチ大学とペシャワール大学の学生たちとの交流会を実施しました。パキスタンでは現地の家庭にホームステイし、イスラム社会やその文化に触れることができました。同時に、ペシャワールでは、まだ当時ソ連のアフガニスタン侵攻が解決していなかった時代で、ペシャワールのアフガニスタン人の難民キャンプから難民兵士が武器を持って国境のカイバル峠に行く姿、銃声、爆音が聞こえるところまで視察することができた貴重な体験をしました。






腸チフス感染による留年を経験
この旅行から帰国後、高熱が続き、幼少時から面倒を見てもらっているかかりつけ医の治療もお手上げとなり、地元の自治医科大学病院に行ったところ、病名はわからないが即入院となりました。同大学病院でも1週間ほど病名を診断できず、病状が悪化しないように処置がなされました。その後、培養結果が出て、腸チフスと診断され、法定伝染病に指定されている病気ということで、隔離施設のある病院に移送されることになりました。隔離病棟に入ったら即絶食となり、胸から管を入れられ、長期入院の治療が始まりました。40日ほど入院して退院後、体力も大幅に落ち、歩くことすらできない状況で、大学に通うのも困難な時期が続きました。学校側とも交渉しましたが、前期試験を受けられなければ留年せざるを得ないとのことで、1年間休学することにしました。
実は、学生時代には知識がなかったため対処できなかったが、法定伝染病に罹患し隔離されたことを根拠に学校側としっかり交渉すれば、1年留年することはなかったのではないかと少々悔やんでいます。ある教授に相談したら、「あなたを救う方法はない」ときっぱりと言われ、それ以上粘ることができませんでした。無知であることの哀れさを感じる出来事でした。


大家さんとの良き思い出 就職活動の現実 JETROへの就職 TIU卒業後の人生の主な歩み 国際貿易・投資への献身:日本貿易振興機構(JETRO)でのキャリア 海外事務所長としてのリーダーシップ
1年留年したことで、両親とは多少ギクシャクしながらも、サポートはしてくれていました。しかし、自分から家を出ることにして、4年生から5年生の就職が決まるまでは、大学近くの鶴ヶ島に四畳半トイレ・風呂・洗濯機使用共同で1か月1万円(共同の水道・光熱費は5千円)のアパートを見つけて住むことにしました。今はもう取り壊されてなくなってしまった古いアパートで、伯谷荘と言い、地元の酒屋さんのお婆様が大家さんをしているところでした。家賃は、そのお婆様の大家さんに直接払いに行くシステムでした。その際に、大家さんといろいろな世間話を30分くらい、長い時には1時間くらい話して家賃を払って帰ります。だんだん親しくなってくると、家賃を払いに行ったのに、お土産やお小遣いをもらって帰ることが多くなりました。この伯谷荘の大家さんには本当に助けてもらい、今でも感謝している忘れられない思い出の1つです。
こんな素晴らしい大家さんに支えてもらいながら、高校4年間、大学5年間通う学生を受け入れてくれる職場があるのかと怯えながら、インカレサークルISAの他大学の学生の仲間たちから情報を得ながら、就活を始めました。就活しながら、大学院への進学も真剣に考え準備もしていました。両親は、栃木の田舎に戻り、教員や役場、県庁、警察や消防署、父と同じ郵便局員などに務める公務員を希望していたようです。この就活の機会に、いろいろな業種の職業を見てみようとの気持ちで活動しましたが、現実はかなり厳しいものでした。
当時は、電話や手紙で説明会に申し込むのが一般的でした。一流と言われる大学の仲間たちからどこの企業は説明会が始まったとの情報を得て、電話をすると、出身大学名が伝わると説明会は開催しないとの回答が何社からもありました。実際に別の大学の友人たちはその企業の説明会に参加しているのに、参加させてもらえない、参加する権利さえないと現実の厳しさを実感しました。また、中学時代にとても優秀だった同級生が務める有名商社を訪ねたところ、「髙宮の大学ではうちの会社には入れない」とはっきり言われてしまいました。あるシンクタンクの説明会に参加したところ、「あなたのような人材は当社はいらない」とはっきり言われたこともありました。
一方、企業やNGOでも、とても丁寧で親切に対応してくれたところもありました。超大手企業は青田買いで先輩が出身大学の学生を確保している姿も身近に感じました。正式に試験を受けても、そう簡単には入れるところは少なそうだと感じていました。
民間企業に比べ就活の時期が遅い公務員や政府系機関の就職も視野に入れ、試験は誰でも受けさせてくれる職場を選んで就活することにしました。公務員の上級職を受けましたが、全くダメでした。外務省の専門職と上級職の受験票を取りながら、政府系機関のJETRO、JICA、OEFC、JNTO、日本銀行、中小企業事業団(現在は中小機構)などに連絡して、若手職員との面談をさせていただきました。通常であれば、出身大学の先輩職員が対応するのですが、TIU出身の先輩がいないところも多く、私の場合は別の出身大学の職員やインカレサークルの先輩を頼って各機関を訪問し、お話を聞かせていただきました。
アフリカに行ける職場は限られていましたが、「学生時代はアジアを訪問して途上国を知ったが、将来はアフリカで仕事をしたい」とJETROで言ったところ、当時のJETROは先進国志向の職員が多く、途上国、ましてやアフリカに行きたいという職員は聞いたことがない。JETROに入ったらすぐにアフリカに行けるのでは」と話が盛り上がりました。JETROとは縁があったのでしょう。その後、内々定をもらい、もう他に就活する必要もなく、残っている外務省の試験も受ける必要はない、JETROを信用してくださいと言われ、結果としてJETRO職員となることを決めました。その後、いくつかの政府機関や企業からお声がかかりましたが、JETROに就職するとお伝えしてお断りしました。
TIUのゼミの小林先生に大学院に行くか、JETROに行くか相談したところ、JETROに行くべきであると言われ、就職した後に大学院に来たければ勉強しにくれば良いと言われました。したがって、JETROに就職することにしました。TIUの就職課にJETRO内定を報告したところ、JETROを知らなかったようでした。とても残念な気持ちになりました。
社会の現実の厳しさを知る就活を体験しつつも、自分のやりたい、その後天職であると思える職場に就職できたことはとても運の良い人間だと思いました。就活中に言われたことは、良いことも悪いことも、就活でお付き合いした企業や機関は一生忘れることはありません。
現在、岡山県倉敷市水島に本社のある萩原工業株式会社で経営企画室 社長特命担当部長を務めています。以前はJETRO岡山貿易情報センターの所長を務め、26年間JETROに勤務していました。
JETROの日本の貿易・投資促進における役割と活動
1992年に日本貿易振興会(現在の日本貿易振興機構、JETRO)に入会し、2018年4月に退職するまでの26年間、国際貿易と投資の促進に尽力しました。JETROは、日本と世界各国との間の貿易と投資を促進することを目的とした政府系の独立行政法人です。当初は輸出振興に重点を置いていましたが、近年では輸入促進、対日投資誘致、中小企業の海外展開支援など、幅広い活動を行っています。現在、JETROは、56カ国76事務所と、日本国内に48の事務所を展開し、グローバルなネットワークを活かして活動を行っています。
ダルエスサラーム事務所長(タンザニア)での主な活動
JETRO在籍中にダルエスサラーム事務所長を1994年11月から1998年3月まで務めました。アフリカ駐在を希望して就職し、3年目でタンザニアに駐在、しかも若輩の20代ながらも事務所代表の所長として赴任することができました。タンザニアは、日本企業の投資関心が高まっている国の一つであり、JETROは日本とタンザニアの経済関係強化に努めています。ダルエスサラーム国際見本市への日本パビリオンの出展などを通じて、日本製品やサービスの紹介、日本企業による市場調査支援などが行われていました。また、アフリカ投資促進フォーラム(AIPF)の枠組みの中で、日本企業の投資促進を支援していました。
私の事務所長としての主な活動は、日本企業のタンザニア市場への参入支援、タンザニアからの対日輸出促進、両国間の経済協力関係の強化などでした。






テヘラン事務所長(イラン)での主な活動
続いて、私は1999年6月から2004年1月までテヘラン事務所長を務めました。タンザニアの駐在から東京本部に戻り、半年後には誰も行きたがらないとのことで、人事からお声がかかりました。また、所長であるということで即答しました。JETROは、イランとの貿易・投資促進を通じて、日本の経済発展に貢献することを目的として活動を行っています。テヘラン事務所では、市場調査、日本企業のイラン市場への進出支援、イランからの対日輸出促進、テヘラン国際見本市の日本館運営と日本企業向け展示会への参加支援を行いました。
また、当時は日本がアザデガン油田の権益を確保するため、イラン側に対して非石油分野での支援を活発化した時期でもありました。JETROにはイランの非石油分野への支援をする指示があり、イラン側が日本政府に求めた自動車産業及び部品産業の支援、薬品分野の産業支援、イランのWTO加入促進支援などを強化しました。イランは政治的に複雑な状況にある国であり、私の在任中には、日本とイランの経済関係を維持・発展させるために、慎重な対応と深い市場理解が求められました。


カイロ事務所長(エジプト)での主な活動
2010年3月から2014年11月まで、カイロ事務所長を務めました。エジプトは、アフリカ地域においてJETROが1955年から活動を展開している重要な拠点の一つです。カイロ事務所では、日本企業の対エジプト投資促進、エジプトからの対日輸出促進、技術協力、ビジネスミッションの実施など、多岐にわたる活動が行われています。
私の在任中には、アラブの春の事件が勃発し、政治・経済情勢の変化に対応しながら、日本とエジプトの経済関係を強化するため、カイロ国際見本市において日本館を出展・運営する活動なども展開しました。当時の上司からは「なぜ現地にいてアラブの春の発生を事前に予知できなかったのか?」と責められたことを思い出しました。2014年3月には、ロンドンで開催されたチャタムハウス(Chatham House:王立国際問題研究所)とアジア経済研究所の研究会合に出席し、「アラブの春」後の中東情勢について議論に参加するなど、地域情勢へ深く関与しました。






@マルサ・マトルーフの海岸

@エジプトの西部砂漠(サハラ砂漠の一部)

@シーワオアシス


地域イニシアチブの主導:JETRO岡山貿易情報センター所長としての活動
JETROでは地方事務所勤務を経験していませんでしたが、2015年7月から2018年4月まで、JETRO岡山貿易情報センター所長を務め、地域経済の振興、国際交流、地元企業の支援に尽力しました。東京本部の役員からは、しっかり地方を学び、地方創生に貢献してくるよう指示されました。岡山県庁や県内の各市町村の企業の海外進出について知事、市長、町長、村長たちと意見交換を行ったり、岡山県高等学校教育研究協議会委員や岡山操山高校のスーパーグローバルハイスクール(SGH)運営指導委員会委員として、高校生のグローバルな視点育成に貢献したりするなど、地域社会との連携を積極的に行いました。
また、岡山県内の若者のグローバル意識を高めることを目的とし、地元の大学生や高校生、小中学生にも講師として長年関わり、自身の国際経験を共有してきました。これらの活動は、JETROのネットワークと自身の経験を活かして、地域経済のグローバル化を推進しようとしたものでした。



地方創生に貢献することを学ぶため岡山大学大学院にて公共政策学修士号を取得 修士論文について
2016年4月からJETRO岡山貿易情報センター所長を務めながら、夜や週末は岡山大学大学院の社会文化科学研究科博士前期課程の公共政策学専攻に通いました。ここでは、地域社会の発展と自立性を重視した公共政策について学び、念願かなって修士号も取得することができました。具体的には以下の内容を学びました。
政策分析能力: 法学、政治学、経済学、経営学などの学際的アプローチを通じて、政策の企画・立案・評価を行う能力を養いました。
公共組織経営: 公的組織の経営に関する知識とスキルを身に付けました。
地域公共政策: 中四国地域を対象に、地域の政策課題を発見し、解決する能力を育成しました。
在学中の2016年8月~9月にかけて、都市計画や地域開発の研究で有名な米国のPortland State Universityの研修に参加しました。このプログラムは「Okayama University Public Administration Short-Term Training, Citizen-Centered Governance – Cases from Portland, Oregon」というもので、この研修を修了することもできました。研修内容は以下のとおりです。
市民中心のガバナンス: 市民参加の重要性、市民の意見を政策決定に反映させる方法や、市民との協働を促進するための戦略を学びました。コミュニティ・エンゲージメント: 地域社会との関わり方や、コミュニティのニーズを理解し、対応する方法を探りました。
ポートランドの事例研究: ポートランド市が実施した市民中心の政策やプロジェクトの具体例を通じて、実践的な知識を得ました。政策の実施と評価: ポートランド市の政策がどのように実施され、評価されているかを学びました。
公共政策の理論と実践: 行政倫理と価値観、公共政策における倫理的な問題や価値観についての理解を深めました。政策分析と実施: 政策の分析方法や実施のプロセスを学びました。
リーダーシップと管理: 公共機関や非営利組織でのリーダーシップのスキルを養いました。財務管理と予算編成: 公共機関の財務管理や予算編成の方法を学びました。
地域資源の管理: 地域の自然資源を保護し、持続可能な方法で管理するための政策を学びました。非営利組織の管理: 非営利組織の運営や管理に関する知識を深めました。
このプログラムは、ポートランド州立大学の専門家や実務家から直接学ぶ機会を提供し、理論と実践を融合させた学びを通じて、公共政策における市民中心のガバナンスの理解を深めることができました。久しぶりの米国での学びは、とても良い機会、刺激となりました。
修士論文では「地方創生における地域経済活性化に効果をもたらす輸出産業の考察」をテーマに執筆しました。その概要は以下のとおりです。
研究目的: 日本の人口減少とそれに伴う国内経済の縮小に対し、地域経済を活性化させるために輸出産業の役割を探ることを目的としています。
研究方法: 貿易統計の分析: 財務省のデータを使用して、日本全体および岡山県の貿易動向を分析。産業連関表の利用: 地域産業連関表を用いて、各地域の輸出産業の特化係数や比較優位性を評価。
研究結果: 生産効果モデル: 輸出産業が地域経済に与える生産効果を分析し、主要な輸出産業を特定。輸出特化係数と比較優位モデル: 各産業の輸出特化係数と比較優位性を評価し、地域ごとの輸出産業の強みを明らかに。
研究考察: 輸出産業の重要性: 輸出産業が地域経済の成長を促進し、国内市場の縮小を補う役割を果たすことを強調。
政策提言: 地域ごとの輸出戦略を策定し、経済成長を維持するための具体的な施策を提案。
結論: 輸出戦略の重要性: 国内需要の減少に対処するため、輸出を通じて新たな需要を創出し、地域経済を活性化させることが必要。
詳細な分析: 全国産業連関表(2011年): 日本全体の輸出構造を分析し、輸出が国内生産に占める割合を明示。主要な輸出産業25部門を特定。
地域別分析: 47都道府県の地域産業連関表: 各地域の輸出データと産業分類を分析し、地域ごとの輸出産業の特徴を明らかに。
この論文は、地域経済の活性化における輸出産業の重要性を強調し、具体的な政策提言を行っています。詳細な統計分析や地域別の事例研究を通じて、輸出戦略の策定と実施の必要性を示しています。


JETROでの26年間で得たもの
JETROでの26年間、そのうち13年間を海外駐在に費やした私は、国際市場、貿易規制、異文化間のビジネス慣行、そしてグローバルな経済動向に関する深い理解を培ってきました。この経験は、民間企業の実践的な戦略的方向性とグローバルな取り組みを形成する上で非常に貴重です。岡山大学大学院で2018年3月に取得した公共政策修士(MPP)の学位を含む私の学歴は、国際ビジネスにおける実践的な経験を補完し、グローバルな文脈における戦略的意思決定のための理論的枠組みを提供しています。MPPプログラムは、経済学、政策分析、組織管理などの分野の知識を与え、これらはグローバルな文脈における戦略策定に直接応用できるものです。



製造業への転身:萩原工業株式会社 萩原工業における役割:国際部長から経営企画室長へ
萩原工業:会社概要、事業内容、グローバル展開
岡山でのJETRO所長時代に創業家の経営者から誘われ、「人生後悔させない」と言われ最終的にJETROを離れる決意をしました。2018年5月に岡山県倉敷市水島に本社がある萩原工業株式会社に転職し、現在、経営企画室社長特命担当部長を務めています。萩原工業は、ポリエチレン・ポリプロピレンを主原料とした合成樹脂繊維「フラットヤーン」を用いた関連製品および産業機械の製造・販売を行う企業です。ブルーシートの国内トップメーカーであり、その他、人工芝、食品包装材、家電部材など、幅広い分野で製品を展開しています。当社は、海外14カ国に生産・販売拠点を持ち、グローバルに事業を展開しており、東京証券取引所プライム市場の上場企業でもあります。
私は萩原工業入社後、経営戦略室長、合成樹脂事業部門国際部長及び経営企画室長を経て、現在は社長特命担当部長として、同社のグローバル展開を推進することを担っています。JETROでの豊富な国際経験と、海外市場に関する深い知識は、当社のグローバル戦略を推進する上でとても役に立っています。
私の萩原工業での活動の一例を紹介します。つい最近、外務省が作成したパンフレット「日本と中南米をつなぐ日系人」のインタビュー記事を通じて私の活動が紹介されました。







私がこれまで訪問した国88か国(そのうち居住した国5か国)について
私がこれまで訪問し、住んだ国は、以下の地図のとおりです。

グローバル展開による経営力強化:講演テーマ分析
学歴: 主な公職:
2018年4月30日 退職 日本貿易振興機構(東京都港区赤坂)を退職(26年1か月間)
私はこれまで、「経営力強化のためのグローバル展開について」というテーマで様々なセミナーや講演会で講演を行ってきました。グローバル展開は、企業が成長機会を求め、競争力を強化するための重要な戦略の一つです。海外市場への参入、グローバルサプライチェーンの構築、海外企業との提携など、多様なアプローチが存在します。私の講演は、JETROでの経験に基づいた実践的な視点と、萩原工業におけるグローバル戦略の推進経験を踏まえた、示唆に富む内容であると評価されることがあります。
【髙宮純一(タカミヤ ジュンイチ)さんプロフィール】 1967年 5月19日生(東京都渋谷区)
1974年3月 卒園 戸田東幼稚園(埼玉県戸田市)
1980年3月 卒業 野木町立友沼小学校(栃木県下都賀郡)
1983年3月 卒業 野木町立野木中学校(栃木県下都賀郡)
1985年6月 卒業 Stillwater Senior High School(米国ミネソタ州スティルウォーター市)
1987年3月 卒業 茨城県立古河第三高等学校普通科(茨城県古河市)
1992年3月 卒業 国際学士 東京国際大学教養学部国際学科(埼玉県川越市)
2016年9月 研修修了 Okayama University Public Administration Short-Term Training, Citizen-Centered Governance – Cases from the Portland, Oregon.
Center for Public Service, Mark O. Harfield School of Government, Portland State University.(米国オレゴン州ポートランド市)
2018年3月 修士課程修了 公共政策学修士(Master of Public Policy) 学位記番号:第22946号(Degree Number : 22946)岡山大学社会文化研究科博士前期課程公共政策学専攻(岡山県岡山市)
資格:
防災士(Disaster Prevention Expert Certification in Japan)
日本防災士機構(特定非営利活動法人)(Japan Bousaisi Organization)
認定番号: No.019874
居住地の東京都世田谷区の支援を受け取得。
職歴:
1992年4月1日日本貿易振興会(JETRO:現在の日本貿易振興機構、東京都港区虎ノ門)採用 総務部人事課付
1992年4月20日 国内異動 経理部経理課(採用後配属先、経理・会計・財務業務)
1994年11月26日 海外異動 ダルエスサラーム事務所 所長
タンザニア ダルエスサラーム:1994年11月 – 1998年3月(3年5ヶ月)
ダルエスサラーム日本人会 役員
1998年3月28日 国内異動 海外事業部事業調整課(海外事務所運営業務)
1998年7月1日 国内異動 事業統括部海外事業課(海外事務所運営業務)
1999年6月11日 海外異動 テヘラン事務所 所長
イラン テヘラン:1999年6月 – 2004年1月(4年8ヶ月)
テヘラン日本人会 理事
2004年1月27日 国内異動 企画部企画課 課長代理(経営企画、予算総括業務)
2007年5月1日 国内異動 海外調査部調査企画課 課長代理(海外調査部全体の管理運営、調査企画業務)
2007年5月19日 国内異動 海外調査部 総括課長代理(海外調査部全体の管理運営、調査企画業務)
2008年10月10日 国内異動 総務部 主査(法務、契約、情報公開、コンプライアンス、内部統制等業務)
2009年7月1日 国内異動 総務部 主幹(法務、契約、情報公開、コンプライアンス、内部統制等業務)
2010年3月23日 海外異動 カイロ事務所 所長
エジプト カイロ:2010年3月 – 2014年11月(4年9ヶ月)
エジプト日本商工会 副会長
カイロ日本人学校 PTA会長(学校運営委員会メンバー)
2014年3月27日 ロンドンにて
Chatham House(英国王立国際問題研究所)とアジア経済研究所の研究会合に出席
「アラブの春」後の中東 ~東西の視点の邂逅(かいこう)~MENA in Post – “Arab Spring” Era Shared Perspectives on the Middle East and North Africa
2014年11月20日 国内異動 企画部主査
2015年2月1日 国内異動 事業推進主幹(中東アフリカ地域戦略)
2015年4月1日 国内異動 海外地域戦略主幹(中東アフリカ地域戦略)
2015年7月1日 国内異動 企画部付(入院)
2015年7月15日 国内異動 岡山貿易情報センター 所長
日本 岡山県:2015年7月 – 2018年4月(2年10ヶ月)
岡山商工会議所 参与
岡山・ミャンマー友好推進会議 顧問
岡山県・南オーストラリア州友好協会 理事及び監事
岡山県高等学校教育研究協議会 委員
岡山県高等学校教育研究協議会専門委員会(第二専門委員会)委員
岡山県高等学校教育研究協議会 起草委員会
岡山県土木部指定管理者候補選定委員会 委員
岡山県企業誘致推進協議会 企業誘致アドバイザー
岡山・産学官連携推進会議 委員
岡山空港国際物流促進協議会 顧問
岡山市経済政策審議会 委員
岡山市国際交流協議会 監事
(公財)岡山県産業振興財団 評議員
(公財)岡山県産業振興財団 評議員 選定委員会 委員
(一社)岡山県国際経済交流協会 理事
(一財)岡山県国際交流協会 評議員
(一財)岡山県国際交流協会 運営委員会 アドバイザー
岡山日蘭協会 特別顧問
岡山県立瀬戸南高等学校地域共育審議会 委員
岡山操山高校スーパーグローバルハイスクール運営指導委員会 指導委員
2018年5月1日 転職 萩原工業株式会社(岡山県倉敷市)に入社
2018年5月1日 経営戦略室 室長(2年6か月)
2020年11月1日 合成樹脂事業部門 国際部 部長(1年間)
2021年11月1日 経営企画室 室長(3年間)
2024年11月1日~現在 経営企画室 社長特命担当部長
