
恩師との25年ぶりの音信とゼミ生達との再会
大学卒業後、多くの皆さんがそうであるように私もひたすら自分の人生を切り拓くことに邁進してきました。「大学時代は終わった。もう関わることはないだろう。振り返るべきではない。あの日々はもう終わってしまったのだから」多くの方は無意識にそう感じたのではないでしょうか?実りある大学時代だったら尚更かも知れません。そしてその後の人生の荒波を夢中で乗り越えてきたのだと思います。大学時代の思い出に安住していては、渇望するおぼろげながらに見える何かにもたどり着けないからです。そうして歳月は流れ、かつての親の年齢を過ぎ、とうに自らの人生の折り返し地点を過ぎていました。
私にとって、あの大学時代はもはや神話のようなものでした。しかし、52歳となり公私にわたり一つの区切りを迎えたように感じた昨年夏、恩師に25年ぶりに便りを差し上げ音信が再開しました。もしかしたら、自分の行く先(人生のゴール)が見通せたのかも知れませんし、そうして初めて自分の過去に目を向けることが出来たのかも知れません。



当時、哲学やデザインに興味があった私は文学部系や学際的な学部を選んで受験しました。最初は教養学部人間関係学部に入りました。当時の入学案内には、人間関係学部にはデザイン的(人間工学)な科目もあったのですが、在学中は結局開講されませんでした。2年次の教養科目で恩師枇杷木先生の国際経済学の授業で長期マクロ理論に触れ、個人と社会の繋がりを知りたいと考え3年次に国際関係学科に転科しました。大学卒業後は当時の防衛庁陸上自衛隊に奉職し、日本各地を転々と勤務しました。長期の海外主張でアメリカにも滞在しましたが丁度9.11米国同時多発テロ事件が発生し、あの緊張感が今でも心に残っています。


自衛隊退職後はいくつかの仕事に就き、現在はインフラ関係の仕事をしています。私の人生を振り返ると幼少の頃から『運命は決まっていて、それに従って生きている』と言うしか無いようなことが多々ありました。全く不思議なものです。「人間には自由意思などないのでは?」と私は思います。どんなに望んでも全く望むドアが開けないことがあり、しかし一方でいつの間にか現れている別のドアあり、そちらに進みたくなくても進まざるを得なく扉を開けて突き進む、しかし大分後から振り返るとそれが正解だった、そんなことばかりの人生でした。
人生において同窓会活動が持つ意義 「人が死ぬ間際に後悔する3つのこと」
さて、人生をゴールから眺めてみましょう。人は死ぬ間際に3つの事を後悔するという印象深い話を読んだことがあります。これは多くの方の最後を看取ってきた、看護師の手記に書かれていたことだったと記憶していますが、下記のような事が書かれていました。
(人目を気にしたり、遠慮したりで人生でやりたいことが出来なかった事への後悔)
(仕事ばかりの人生で、家族と過ごす時間をとれなかった事への後悔)
(連絡をとるのを止めてしまい、友人達と会わなかった事への後悔)


同窓会の開催と参加は、この3番目の後悔の回避に当てはまります。実に人は死ぬ間際に自分の人生で駆け抜けた友人達のことを思い出し、そして「今はどうしているのだろう、面倒臭がらずもっと会っておけばよかった。」と後悔するようです。これは何となく分かります。「あの当時の友人達は今どうしているんだろう?」と実際思うからです。引退後や老後に会いたいと思った時には、すでに時間も身体的にも余裕がなく、会えずじまいとなってしまうのは容易に想像できます。
【貴重な仕事の利害関係のない友人関係】今年3月の30年ぶりの同期生の集合
先生に25年ぶりの便りを差し上げた時点で、既に歴代ゼミ生を集めた同窓会開催についての青写真はありました。一つ確信があったのは、人生最後の後悔ではありませんが「同期が集まったらさぞかし充実した時になるだろう」という思いでした。
先生から温かいご返信を頂いた翌週には、最新のご論文が電子メールで手元に届き(まったく今日のネット社会は、25年前とは隔世の感があります)拝読しました。面白いもので、大学在学時とは違うものの見方ができる自分がここにいて、先生の論考が奥行きをともなって見れるようになっていました。25年前でも枇杷木先生の論文はユニークかつ包括的で、様々な知的な刺激を受けたものでしたが、当時は全く見えなかった要素が見えるようになり「もしこの視座が35年前にあれば学究の道に進んでいたかもしれない」と、些か残念にも感じました。大学時代の私には、社会に起こる事象が霧のように巨大で茫漠とした存在で、単純な善悪程度でしか判断できず、その背後にある事象と構造には全く気づくことが出来ませんでした。
先生への便りからから8か月後、今年3月22日に懐かしい霞ヶ関と川越で催した28期・29期合同同窓会では先生を囲み、気が付けばなんと7時間も語り合っていました。最初の確信の通り、人生でも数少ない充実した時を過ごせたように思います。大学在学当時でさえ、7時間も話し込むことはありませんでしたが…まったく面白いものです。実に人はつながり無しに生きられないものです。仕事の利害関係のない、大学時代の恩師・友人関係は、人生を構築する大切な要素だと皆が無意識に感じたことと思います。


また、人生の荒波にもまれれば少しは人柄も少しは変るかと予想しておりましたが、皆全く変っておらずむしろ各人の色が更に濃くなっているようにさえ思われました(かく言う私自身もそうなんでしょうが。)そして念願の歴代ゼミ生を集めた、全期同窓会の開催の賛意と全面協力も取り付けることが出来ました。
歴代ゼミ生が集まる、初のゼミ全期同窓会の開催の実現に向けて 【霞会とTIU sparksとの邂逅】<社会関係資本>としての大学同窓会活動の価値
ふと思うのは、この機会を逃す(28・29期が開催しない)となると、つぎは34期(6年後)くらいにならないと同窓会の音頭をとる期は出て来ないだろうという予想です。その時恩師は齢90歳となられ、長時間の御歓談を楽しんで頂くのは難しいかも知れません。更に、28・29期以降の期では2010年に恩師の引退謝恩会を開いており気持ちには一区切りついています。
先にも書きましたが、「やるべき人生の課題をこなさないと振り返る機会も訪れないらしい」、それが丁度50歳位の年齢になります。そうした機会が28・29期生に訪れた時、恩師が85歳でお元気と言う僥倖、結局、ベストのタイミングで私たちの期に白羽の矢が立ったのでしょう。しかし、こうして逃すべきでないタイミングを幸運にも掴めたのは、恩師であられる枇杷木先生のご人徳の賜物以外の何物でもないと思います。
こうして2025年(今年)の11月2日に東京にて、歴代枇杷木ゼミ生が集合する全期ゼミ同窓会開催への運びとなりました。会場は、大学卒業謝恩会等でTIUと縁の深い池袋のホテルメトロポリタンを選びました。
まず、現在の連絡先を調べなければなりません。時間は遡り28期・29期同窓会の2ヶ月前の1月の話になりますが、霞会事務局に同窓会の開催の為に問い合わせをしたところ、3名の発起人が集まればゼミ生名簿提供が可能とのご返答を頂き早速発起人を集めようとしましたが、これがなかなか集まりません。最後にやり取りしたのは、かれこれ25年前になります。年賀状等も引っ越しの際等に処分してしまい、全く見当たりません。仕方なく、卒業アルバムの実家宛にハガキを出しましたが、なんと9枚中5枚が宛先不明で戻って来てしまいました。何とか連絡が付いた同期生3名の協力を得て、霞会に名簿申請を行いゼミ生の名簿を入手することが出来ました。
さて、こうして初めて東京国際大学同窓会組織<霞会>との御縁が出来た訳ですが、もし霞会の存在が無ければこの同窓会の実現は不可能だったかと思います。在籍したゼミ生全員の名簿の取得できる窓口は恐らく大学学生課にもないでしょう。霞会は大学時代の友人に再会するための最後の砦なのです。


こうして霞会から提供された名簿を見ると、なんと6割の方が現在の連絡先不明という状況でした。そこでネット上にゼミ生の手がかりがないかと検索したところ、霞会シンガポール支部の運営するこちらの<TIU sparks>に辿り着くことができました。TIU Sparksのサイトで、同じゼミ御出身の西村かをりさんや齋藤竜一さんの寄稿された記事を読み、同じゼミ出身ながら、こうした海外を基盤とする人生遍歴もあるのかと驚きました。TIU SparksがなければこうしたゼミOBの存在は知ることが出来なかったと思います。また、枇杷木ゼミに限らず世界各地で現在奮闘しているTIU生が沢山いることも初めて知りました。「数奇な人生」という言葉がありますが、皆さんの体験談を読むと小説のような人生の展開に驚くばかりです。まったく。運命のドアは開くべき時に開くようです。
人生を左右する<社会関係資本>との関わり さてTIU sparksの事を色々考えるうちに、最近読んだ<社会関係資本>と経済学者が呼ぶ価値について思い至るようになりました。現トランプ政権で副大統領を務めるJ・D・ヴァンス氏は白人貧困層出身ですが、海兵隊を経てロースクールに学び、今の地位に就いたそうです。著書「ヒルベリー・エレジー」の中でTIU sparksが一部体現している社会関係資本として内包する同窓会活動の価値が明確に描写されています。
実に勿体ないと思うのは、こうした実際の経験話を大学在学中に聞けなかった事です。大学在学中にこうしたOBの話を頻繁に聞ければ、卒業生の活躍が広がるのかも知れませんし、現在の在学生達にも大きな良い影響を与えられるかも知れません。大学当局は学科教育を与える以外に、在学中にそうした場を積極的に設けるべきです。実社会での戦闘経験を持つ先輩の話は、<頭でっかち>になりやすい学生には貴重な生きた教訓を与えてくれるでしょう。「なんとかなる。チャレンジしてみなさい」と。TIU sparksの創始者の方々の御慧眼と御人徳には、全く頭が下がる思いです。



<以下にその一部を抜粋します> 「経済学者が<社会関係資本>と呼ぶものには、計り知れない価値がある。これは学術用語だが、それが意味することはシンプルだ。社会関係資本とは、「自分が周囲の人や組織とのあいだに持つネットワークには、実際に経済的な価値がある」ことを意味する。このネットワークは、私たちを会うべき人に引き合わせてくれたり、価値ある情報やチャンスを与えてくれたりする。ネットワークがなければ、自分ひとりですべてをこなさなければならない。社会関係資本とは、友人が知り合いを紹介してくれることや、誰かが昔の上司に履歴書を手渡してくれることだけをさすのではない。
むしろ、周囲の友人や、同僚や、メンター(指導者)などから、どれほど多くのことを学べる環境に自分がいるかを測る指標だといえる。私は、選択肢に優先順位をつける方法を知らず、ほかによい選択肢があるかどうかもわからなかった。自分のネットワーク、とくに思いやりのある教授を通じて、それを学んだのである。 <中略>多くの人が何気なくやっていることがわからないと、経済的に大きな損失を生む。社会関係資本はつねに身の回りにある。うまく使えれば成功につながる。うまく使えなければ、人生というレースを大きなハンデを抱えたまま走ることになるだろう。」
<社会関係資本としての大学同窓会> TIUという大学のユニークさ
同窓会OB活動と言うのはヴァンス氏が指摘する、まさに<社会関係資本>の典型と言えるでしょう(何事も貨幣的価値に換算できなければ承認の得られない、西欧文明のある種悲劇的な特色はここでは触れません。もちろん、それにも大局的には重大な意味があるのですが)私自身がこうした<社会関係資本>とのアクセスが全くない人生でしたので、大学卒業後は様々な苦労をしました。
本来この<社会関係資本>というのは、親が子供に与える物だと思います。しかし、今日のように職業もキャリア形成も複雑かつ急速に変化していく時代では、親の経験では全く適応できなくなってきています。簡単に言えば「一つの会社で働き続けた時代の世代には、その苦労を乗り越えた経験知はあっても、それ以外の状況に苦労し乗り越えた経験知は持っていない。」ということです。時代は一世代で全く変わってしまいました。実に私の親の世代は、「それ」(大きな変化が起こったこと)すら、知らないのです。
同窓会は青年期にアカデミズムの世界以外で、メンターを提供できるつながりとしてのもう一つの大学であるべきです。具合的な処世術を諭しつつ「荒波にもまれながらも、でも何とかなる、大丈夫だ。」こう言って背中を押してくれるメンターが若者には必要なのです。でもそれは池袋にある学校法人でもなければ、霞ヶ関にあるキャンパスと言う形のあるものではありませんでした。大学同窓会は生きた大学なのかもしれません。目に見えるハードウェアのみが大学ではないようです。今回、思わぬ形で、私は自らの母校と再会することとなりました。
しかし、目に見えない東京国際大学は東アジア圏の一大商業ハブである、シンガポールに拠点を移したようです。まったく<国際商科大学>の面目躍如といったところでしょうか?初代学長のご意志は見えない大学にも、強い影響を与えてるようです。
TIUという大学の不思議なユニークさはOBが自発的にこうした活動をするところにあります。これは全く言葉で表現することが出来ませんが、強いて言うなら「極めてエッセンシャル(本質的)」なのです。何に対してからと問われれば、「個々の人生(life)に対して」、としか適切な表現は見つかりません。
初代金子学長が創建された大学は極めて理想的な大学教育を実現しようとするものだったと思います。特に、私が入学した当時は東京大学、国際基督教大学(ICU)、東京国際大学の3大学以外に教養学部が設置されていなかったことを考えると、創立者がいかに世界水準の大学教育を目指していたことが分かります。また、恩師であられる枇杷木教授のような、極めて理想的・良識的なアメリカの文化的黄金期と呼べるような時代に、米国で知的な鍛錬を受けられた、西欧のアカデミズムの練達が学部に御在籍され、その薫陶を受けることの出来る奇跡的な環境が存在しました(これは良識的で自由なアカデミズムという意味においては、国家の統制を強く受けざるを得ない国立大学では受けられない教育環境なのです。)
東京国際大学に合格する学生は、東京6大学に合格する学生と大差ない能力を持っていると個人的には思います。TIU sparksでの実社会での活躍がそれを物語っています。しかし、どういう訳だが東京国際大学に入学します。入学当初は能力不足結果かと私は思っていましたが、人生の道のりを歩むうちに偶然はないということが何となく分かるようになりました。「東京国際大学の卒業生達は、会うべき人に会うべく(運命のようなものに)導かれて東京国際大学に入学している」のです。東京国際大学に入学したのは何のため?それは学歴を得るためでなく、今生で会うべき人に会うために入学したのです。(ここがポイントなのですが、それは社会的成功や経済的な成功を意味しません。実に人の生には、それ以上のものがあるようなのです。たとえそれがどんなに苦闘に満ちたものであったとしてもです。)
だから、若き学生達にはこう言いたいです。
『なんとかなる。気が済むまでやってみなさい。それがこのTIUに来た理由だよ』と。
2025枇杷木ゼミナール同窓会事務局連絡先:
2025hiwaki.seminar.dosokai
(最後に@gmail.comをつけてご送信下さい。)
2023年冬 比叡山延暦寺にて
【島村秀樹さんプロフィール】 千葉県出身 1996年 東京国際大学教養学部国際関係学科 枇杷木ゼミナール卒業(第28期)
卒業後は防衛庁陸上自衛隊奉職、現在は民間にてインフラ関連企業に勤務 関西在住