常にポジティブ思考を心掛けたい。半導体市場を通じ、テキサスと日本/アジア間ビジネス拡大へ奮闘中
伊藤宏人さん(1996年卒業、経済学部国際経済学科)

(2013年家族でテキサス州フォートワースのストックヤードにて)

96年経済学部国際経済学科卒業の伊藤と申します。大した経歴でもドラマチックな人生を送っている分けでもないですが、TIUA留学中にお世話になった島田さんからの依頼により私の経歴を寄稿させて頂きます。

現在:
現在家族と共にテキサス州北部のプレーノという街に住んでいます。数年前にトヨタ北米本社がカリフォルニア州から引っ越してきた街です。アリゾナ州に本社のある日系の半導体関連の会社に勤めています。2012年に同会社に現地採用され、翌年にテキサス州に異動になり現在に至ります。顧客であるダラスにある現地半導体会社にセールスエンジニアとして常駐しており、日本やマレーシアで開発設計製作した製品の販売サービスが主な業務です。技術や工場と顧客の間に入りながらビジネスの拡大に向け奮闘しています。日常やり取りしている同顧客のエンジニアはアメリカ人に限らず、アジア系、ヨーロッパ系、アフリカ系出身がいて国際色豊か。コロナ前までは非定期に顧客の別州にある拠点やアジアの量産拠点にも訪問していました。


(2016年フィリピン出張、現地同僚と、右奥が私)
      

高校~大学:
高校生の時に読んだ落合信彦氏の著書「アメリカよ!あめりかよ!」がアメリカに強い関心を持ったきっかけでした。自らの留学体験を通して、60年代アメリカの激動と変貌を浮き彫りにする自伝ノンフィクションです。落合信彦さんのメンタルの強さと行動力に対して当時高校生なりに強い感銘を受けたのをはっきりと覚えています。アメリカ映画やスポーツを通じての漠然とした憧れから、同著書をきっかけにいつかはアメリカに移住することを人生の目標の一つにしていました。高校の卒業文集には同著書を読んでいかに感銘を受けたことを書いた記憶があります。

英語力は皆無だったのもあり、高校を卒業してそのままアメリカの大学に留学するということは考えられませんでした。在学中にアメリカへ短期留学出来るシステムのある東京国際大学を選択しました。東京国際大学に入学してからTIUAに行くことしか頭に無かった記憶があります。最初の説明会で一番前の席に座り、OBに最初に質問をしたくらい前のめりでした。93年の2月にTIUAに行きましたが、初めてのアメリカだったので見るもの全てが新鮮で、空気を吸っているだけで気持ちが高揚していました。当時19~20才なりの等身大の悩みは抱えつつ、今振り返るとこれまでの人生で一番楽しい時間を過ごせたと思っています。

この短期留学を後押ししてくれ、金銭的な援助も惜しみなく提供してくれた親には一生頭が上がりません。この経験があるからこそ今があり、自分の息子達に対しても彼らの人生が豊になる為のサポートは全力で行おうと決めています。TIUAでの収穫は色々ありますが、最大の収穫はその時に出来た友人かと思います。近くに住んでいないので今は会う機会は非常に少ないですが、昨年は数回Zoom飲み会を実施して30年近く経った今でも仲良くしてます。しょうもない話で盛り上がりながらも、各々の分野で頑張っており彼らとの会話は励みになります。

社会人:
就職活動は苦労しましたが、埼玉県に本社のある機械メーカーに就職しました。技術研修及び人間関係構築の為に福島の工場に一年間勤務後、埼玉の本社営業に配属されました。関東の顧客を相手に営業活動を数年行った後、アメリカ現地法人で若手の派遣を検討していると聞き直に手を上げ、入社3年目にも関わらず駐在の機会を頂けました。中西部の新規顧客開拓を目的としたオハイオ新事務所設立に伴い、販売サービスを主な業務とするセールスエンジニアとして現地に派遣されました。


(2000年シカゴダウンタウンにて)
                              

打合せのみの訪問だけではなく、数週間に渡る現地顧客工場での機械設置も業務の一環でした。基本工場は田舎にあることもあり、出張の際に移動に使う時間が日本の比ではないことを実感しました。合計で4年間の駐在、最初の3年がオハイオ州、最後の一年はメリーランド州、その後日本に帰国しました。日本に帰国後は福島での工場勤務を挟み、埼玉本社の海外営業部の所属となりました。海外営業部では出張ベースで頻繁に欧米及びアジアの顧客を訪問し販促に努めました。13年務めた同会社を2009年に退職し、東京都内に本社のある風力発電機のベンチャーメーカーに転職しました。

転職:
前職で知り合った会社の社長さんの紹介で風力発電機メーカーに転職しました。ベンチャー企業に身を置いてみたいという希望から初めての転職を実現させました。最初はプロジェクトマネジャーで製品開発及び販売戦略に携わりました。その後、同開発製品のアメリカでの販売に伴い、一年前に設立された米国現地法人(コロラド州)へ2010年に派遣されました。最初は技術マネージャーでしが、駐在半年後にCOOとなり拠点運営を任されました。当時コロラド州が再生可能エネルギーの導入に積極的だったこともあり、各地でイベントが開催されネットワーク構築の機会の場が多く有りました。小さい組織だったこともあり色々な業務を経験させてもらいました。


(2010年コロラド州ボルダー風力発電機設置サイト)
                  

任務完了に伴い会社から帰国命令が出たのですが、子供をそのままアメリカで育てたいという気持ちからアメリカに残ることを決め、現地で転職活動を行いました。親が経験していないアメリカでの学校生活を子供に経験させたいという思いです。日本帰国後はアジア営業への配属が内示されていましたが、ここで日本に戻ったらもうアメリカに来る機会はないと思ったので、会社には平謝りで帰国せず退職を決断しました。運よくビザサポートをしてくれる現在勤めている会社に直に現地採用してもらうことが出来て現在に至ります。

最後に:
妻や両親や知人や会社の人に支えられながら今に至ります。現在勤めている会社からのサポートにより昨年グリーンカードを取得出来ましたので、仕事があって健康な限り今後もアメリカに住み続けるつもりです。2020年はコロナの影響でアメリカでは多くの人が職を失いましたが、属している半導体業界が盛況なおかげで仕事を失うこともなく、家族共々健康に過ごせていることに感謝している日々です。

コロナをきっかけに色々な社会問題が浮き彫りになり、アメリカの脆さが見えた年だったかと思います。~90年代のアメリカ一強の古き良き時代では無いということを改めて実感します。ネガティブな報道が多い中でポジティブな出来事を見つけていくしかないですね。将来の夢や目標を追いかけるのも大切ですが、小さな幸せを日々意識的に見つけることが人生を幸福に生きていくコツでしょう。如何なる状況でも常にポジティブ思考を心掛けたいと思っています。


(2013年ダラスのホテルにてTIUA在籍時以来20年振り久しぶりの再会、Gunnarと島田さん)

 

(伊藤宏人さんプロフィール)

千葉県出身江戸川学園取手高校卒業
1992年4月東京国際大学 経済学部 国際経済学科 入学
1993年2~12月TIUアメリカ校 留学
1996年3月東京国際大学 経済学部 国際経済学科 卒業
1996年4月機械メーカー入社(埼玉本社、米国オハイオ州、メリーランド州) 
2009年4月風力発電機メーカー入社(米国コロラド州)
2012年5月半導体関連メーカー入社(米国テキサス州)

 

TIU 霞会シンガポール支部