タンポポのように!!
君島忠男さん(1979年卒業、商学部第11期、川嶋ゼミ、競技スキー部)

TIU Sparksに関心をお持ちの皆様、初めまして。本学1979年卒君島忠男と申します。 寄稿のご依頼を頂きまして、大変僭越ながら自分の在学時代から卒業、至現在を紹介させていただきます。

ゼミと部活で


(1975年7月立山合宿)

(1978年2月斑尾高原合宿)
 私の生まれた地は、栃木県の塩原温泉。それ も上塩原で、山一つ超えると福島県という雪深いところでした。三歳からスキーを始め、小、中、高とスキー部で、もちろん大学でもスキー部に所属しておりました。当時の我校のスキー部は、体育会的厳しさと愛好会的楽しさが混然一体としており、私のこれまでの人生において非常に思い出深い1ページとして刻まれております。人との関わりの基礎を学ばせていただいたと思っています。
 
 ゼミは川嶋行彦先生(後に秋篠宮妃紀子様の叔父となる)。勿論、マーケティングを学ぶことが目的でしたが、ゼミ紹介の一文に「自分の結婚式、或いは、結婚したいと思う相手とのデートの時は授業を休んでも出席扱いにする」とういう文面を見てフレンドリーな人間性に興味を抱き、定員5倍の難関を突破して川嶋ゼミ1期生となりました。
 西伊豆でのゼミ合宿や京王プラザホテルでのパーティーなど思い出は沢山ありますが、学問への考え方を教えて頂いたことは今でもはっきりと記憶しております。幾つかありますが、特に、「広く学べ。そして、将来何か壁に直面した時に、その障壁を乗り越えるためには何のどの部分を学べばよいのか、が的確にわかることが大事」と。まさにマーケティング的シェアの考え方を教えて頂きました。川嶋ゼミでの学びは後の自分形成に大きく影響を与えて頂きました。
 

懐石料理の料理人
 実は私、日本料理の料理人なんです。大学卒業後直ぐ、地元(宇都宮市)では有名な老舗割烹料理店に修行に出されました。出されたというのは、自分の意志からではなく長男としての宿命として受け入れたということです。住み込みで1日平均15時間労働。忙しく、週に2回は3時間ほどしか睡眠時間をとることができない状況でした。休みは月に2回。あの時代でも、あまり類のない厳しい修行でした。
 
 修行を経て実家の料亭(宇都宮市)に入りますが、次第に自分の考える経営をしたく、28歳で自分の店を持ちます。母校で学んだマーケティング的視点で飲食店経営に挑みたかったのです。実家の仕事も手伝いながらですから、労働的には非常に大変でしたが、1988年4店舗目の開業を機に会社組織(株式会社Wグループ)に致しまして、現在までに31店舗の飲食店を多種開業して参りました。
 
理系的思考
 そんな料理人の私が、なぜ文科省から表彰を受けたのか、不思議に思われた方がほとんどではないでしょうか。しかも、我が母校東京国際大学(TIU)は理系の大学ではありませんし。
 
 私は、幼少の頃から算数、理科などの科目が好きで、高等学校では理科系進学クラスでした。自分で言うのもおこがましいのですが根っからの科学者魂があり、修行を重ねている時も、日本料理の長い歴史が生んだ数々の技法にほとんど解き明かされていない科学との密接な関係を感じていました。調理方法一つ一つに「なぜ?」という疑問が浮かび、先輩職人や料理長に質問しても煩がられるだけでした。自分で調べてみようと料理の修行をしつつ独学で勉強をし始めたのです。
 
 高校で学んだ科学の基礎知識を活かし、料理修行を物理・化学の観点から捉え、「なぜ」を解明、「料理を科学する」先駆者を目指してきました。「なぜ」を解明する中、特に興味を持ったのが「甕(かめ)」の未知なる力でした。なぜ甕で「タレ」を保存するのだろう。焼酎などアルコール類を甕(オールドセラミックス)で寝かせると角がとれ、まろやかな味わいになるのは何故なんだろう。これがセラミックに興味をもった最初のきっかけです。セラミックからは、いったい何が出ているのだろう?調べる中で、特に興味を持ったのは遠赤外線やマイナスイオンでした。
 
 自分の会社を立ち上げてから、当時交流のあった芝浦工業大学の先生の教えを乞いながら、セラミックスから発生するマイナスイオンの研究に夢中になり日々研究を重ね、1993年には株式会社Wグループ内に環境保全事業部NAZCAを創設しマイナスイオン発生素材の研究開発に取り組むこととなりました。
 
 その後、2005年、遂にマイナスイオン発生セラミックスによる自動車からのCO₂削減装置「Super Ceramics JET1」の開発に成功。同年11月に量販店にて全国で販売することとなり、翌12月に環境保全事業部を独立させ株式会社NAZCAとします。
 
 そうした環境保全活動の中、知人の紹介で2012年北海道大学 大学院 地球環境科学研究院 準教授 川口俊一先生と出会うこととなります。


(北海道大学)

(北大内当社先端機能性材料開発センター)
 それから間もなく、川口先生の勧めもあり、北大敷地内にラボを創設し、二人三脚で取組んで研究開発に勤しみました。
 
 3年後の2015年、タッチパネルへの防汚付加としてフッ素膜を自己組織化法にて成膜することに成功。一般ユーザー向けに商品化し、全国の量販店にて販売してまいりました。テレビ東京WBSや新聞、雑誌などで紹介されると大手企業からも声が掛かるようになり、発明協会の推薦を受け、私が筆頭者となり必要書類を作成し応募したところ「文部科学大臣賞」を受賞することとなりました。
 
 近年は、その効果が防汚付加のみならず、水蒸気バリア性、耐薬品性、離形性などの用途に使用され、最近ではその特異性(単分子膜、共有結合、高生産性、etc.)から多数の半導体製造企業より注目されるようになり、令和2年、「科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞」を受賞しております。

(帝国ホテルにて)

(京王プラザホテル札幌にて)
 しかしながら、夢はまだまだ道半ばでして、私達が取組んでおります研究開発は、「次世代の太陽光発電システム」です。窓ガラスに、特殊な薬液を染み込ませたワープシート等で擦るだけでその窓ガラスが太陽光パネルになってしまうというものです。この「自己組織化成膜法」により、世界中の窓ガラスを太陽光パネルにして脱原発や火力発電によるCO₂排出の削減を目指しております。
 

夢の実現を目指して
 2016年7月 スリランカ民主社会主義共和国に現地法人(Nazca Corporation)を設立。新たな太陽光発電システムに必要な良質な酸化チタンの採掘やスリランカの高純度のシリカ事業に着手しました。

スリランカのシリカ採掘から精製の様子
 私達の考える塗るタイプ(化学反応で基板に結晶膜を成膜)の太陽光発電システムは、酸化チタンによりN型半導体を造りだすことに成功しています。同じくP型半導体、陰極、陽極と透明な薄膜で造ろうとしています。現在、張るタイプのものはありますが、効率がよくありません。私達はその6倍以上の変換効率を目指しており、曇りでもその効率が低下することのないよう紫外線による発電の研究開発をしております。
 
 シリカは現在の太陽光パネルの主流の材料であり、スマホやタブレットなどのタッチパネル、液晶テレビ、パソコンなどの画面や光ファイバーなどの材料としても使用されています。販売においては、牛尾貿易(上海)有限公司、牛尾貿易(深圳)有限公司(ウシオ電機中国支社)等々商社との協業で行っております。
 
 スリランカ民主社会主義共和国は、2008年まで内戦が続き、私が初めて訪れた時はまだ内戦の跡が色濃く残っていて警戒心もあり、簡単によそ者を受け入れるような状況ではありませんでした。
 幾度となく訪れるうちに、少しづつ人脈ができてきたそんなある日のことです。コロンボ郊外にあるマンションの密集するプールサイドレストランで、現地の関係者とお酒を飲みながら食事をしていると、酒に酔った大男が仲間同士なのか喧嘩が始まり、一方的に殴りまくっているではありませんか。誰も止めようとはせず、関わりたくない様子。私は、他国に来てまでとは思いましたが止めに入り、私への大男の右ストレートを半月受けで受け、逆手を取って投げつけました(押閂投外)。男はしばらく起き上がれずにいましたが、少しして多少正気に戻ったのかほかの仲間になだめられ、なんとか事なきを得ました。
 
 それを見ていたある大学教授が、悠長な日本語で私に話しかけてきました。大変驚いた様子で、興味深そうに「あなたは空手家ですか」というのです。それがきっかけで一緒に飲むことになり、それを皮切りに信頼を得、人脈が人脈を生みシリカ事業に繋がったのです。
(招待演舞で)
(自分の結婚式での演舞より)
 実は私は、母校入学時まだ授業も始まっていない3月末頃、少林寺拳法部2年生の佐藤充先輩に出会い道院に入門することなり、部活後道場通いをしていました。そして、今なお現役で続けております。山口県と離れてはいますが、佐藤先輩とも今尚交流はつづいており、4年後輩の少林寺拳法部の渡邊昭次とは宇都宮東道院で現在も一緒に汗を流しております。
 
人生の道しるべ

石ころだらけの線路内でも根を下ろし、黄金色の花を咲かせるたんぽぽ
 
 前述いたしましたが、元々私は、理系の学問が好きで、高校では理科系進学クラスにおりました。当然理系の大学にいくつもりで3年生の夏休み過ぎまで理学中心の勉強をしておりましたが、両親より経営の勉強を勧められ現東京国際大学にお世話になることとなりました。
 
 好きな理系の学問を学ぶことはできませんでしたが、TIUでの学びは決して遠回りではなく卒業後の自分の人生への「道しるべ」となったのです。マーケティング、会計学(簿記、原価計算論、etc.)、国際教養等々多岐にわたり学ばせていただき、社会人としての基礎を身につけることができました。
 
 そうした学問もさることながら、今でも鮮明に覚えておりますのは、金子泰藏初代学長先生と松本雅男部長先生の卒業式での贈る言葉です。金子先生からは、「賢いウサギは3つの穴を持つ」と。経営者となる者へは多角経営をしなさいということを教え、また、ビジネスマンとなる者へは、「この学校での学びを基礎として、是非、世界をまたにかけて仕事をする国際人になって欲しい」と。
 42年も前のあの時代に既に、グローバル化の重要性を教えて頂きました。また、松本先生は、「石垣や線路など、どんな過酷なところにでも根をおろし黄金色の花を咲かす、そんなタンポポのような明るく根強い社会人になって欲しい」と。
 
 私は、このお二人に頂いた教えを「道しるべ」として今日まで歩んでまいりました。一から会社を興し継続していられるのもTIUでの学びや体験が基礎となり「タンポポのように生きる」を目指してきたからと自負しております。
 これからも決して驕ることなく、感謝の気持ちを忘れず、夢の新太陽光発電システム開発実現を目指して精進してまいりたいと思っております。
 
 また、最近の母校の現役諸君の活躍を耳にしたり、テレビでの箱根駅伝の奮闘を観たりして非常に誇らしく思っております。TIUの卒業生であることの喜びを感じております。
 
 2023年9月には、ついに池袋キャンパスも開校になり、いよいよ金子泰蔵初代学長先生が描いた東京国際大学の名の如く、世界の大都市東京から国際的な学生の育成・グローバル教育による国際ブレイン・サーキュレーション拠点の構築を一卒業生として楽しみにしております。
 

(君島忠男さんプロフィール)

1979年3月国際商科大学卒業(現TIU)。家業を継ぐため同年4月有限会社一八入社、日本料理の修行を積む。
1988年6月株式会社Wグループを設立。
1988年6月私事ですが、OB会(現霞会)栃木県支部発足の総会で20期の後輩と出会い1991年結婚。TIUに最大の恩恵を受ける。
1993年3月日本料理の化学的見地に着手し、環境保全事業部を創設。マイナスイオン発生素材の研究開発に取り組む。
2005年11月Super Ceramics JET 1開発、量販店にて全国で販売開始。
同年 12月環境保全事業部を独立させ、株式会社 NAZCAを設立。
2012年8月ウシオ電気株式会社と酸化チタンの新成膜技術で提携。共同研究。
同年11月「環状オレフィン樹脂からなる成形体表面への酸化チタン膜形成方法」で特許出願、取得(2016年9月)。
2013年2月「ガラスからなる形成体表面への酸化チタン膜形成方法」で特許出願、取得(2016年8月)。
2014年8月北海道大学内 北大ビジネス・スプリングに先端機能性材料開発センターを開設。
2015年2月アメリカでの「環状オレフィン樹脂からなる成形体表面への酸化チタン膜形成方法」特許取得。
2015年4月国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)とNDAを交わし、北海道大学と当社の開発した技術による、新たな塗るタイプの太陽電池の開発に着手する。
2015年12月北海道大学と「直接接触法を用いた成形体表面への単分子膜被覆の方法及びキット」で特許取得。
2016年7月スリランカ民主社会主義共和国に現地法人設立(高純度シリカの採掘・精製・販売)。
同年9月当社技術による「三元触媒(自動車用排ガス処理装置)」で日立化成株式会社と提携・共同開発に着手する。
2016年10月「自己組織化法によるフッ素成膜(CS1)」で文部科学大臣賞を受賞。
2017年11月大日本印刷株式会社の新型オフセット印刷機に正式に当社のフッ素成膜技術が採用される。
2018年1月母校霞会より「霞賞」受賞
2020年4月科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞受賞
マスコミ報道関連2015年6月から現在までに日刊工業新聞に5度、化学工業日報に掲載され、中小機構発行紙に2回、雑誌New Leader、WEB Journal、発明THE INVENTION等々計5回、スリランカ国営テレビ2度報道(シリカ鉱山開拓、Super Ceramics JET 1)、テレビ東京「WBS」トレンド卵などで紹介されている。
 
株式会社NAZCA
HP http://www.nazca.cc
https://www.youtube.com/watch?v=tjiJnTKBEuo
 

TIU 霞会シンガポール支部