日本に居ても、国外から日本を見る
髙田 浩さん(1987年卒 商学部商学科 清水川ゼミ)

  • 現在、市議会議員としてご活躍されながら、大学院生なんですね。
  •  1987年3月に東京国際大学を卒業後、1995年に貿易商社営業マンから厚木市議会議員に転身。31歳でした。私は、幼い頃から祖父と19時からのNHKテレビニュースを観ていました。これは、私が政治に関心を持った最初のきっかけです。テレビでアニメを観ていた私。祖父は私に、「NHKのニュースだけはみせてね」と言っていました。
      52歳になった2016年春、横浜国立大学大学院に入学しました。50の手習いで法律の研究です。今は博士課程にいます。私が議員でありながら大学院を目指した理由は、地方自治体に環境政策の制度設計が足りないことに気が付いたためです。私を突き動かした心の根源は、幼い頃に海や山で遊んだ記憶です。

  • 高校時代から国際交流に関心を持たれていたのですか?
  •  神奈川県が主催した高校生対象の国際交流キャンプに参加し、外国人の友達が出来ました。これを機に、英語やオートバイ好きだった私は、「海外を走りたい!」という夢を持つようになりました。
     また、高校2年の春(1980年)、私は國弘正雄先生(2014年他界)と出会い、文化人類学を直接ご指導頂くようにもなりました。ラジオ講座「百万人の英語」が企画した「ライシャワー博士(元米国駐日大使)と國弘先生を囲む読者の会」に葉書1枚で応募したところ、「参加を」との連絡を受けたのでした。
      國弘先生は当時、国際商科大学(現東京国際大学)教授であり、日本テレビのニュースキャスターと百万人の英語講師も兼務。「同時通訳の神様」とも言われていました。私はそれ以降、國弘先生の鞄持ちに。国内外の著名人とお会いする機会にも恵まれました。
      私にとって、国際交流や文化人類学は、環境政策を研究する上での基礎であり、繋がっています。何故ならば、それらには多様性という共通点があるためです。
     また、地方議員として、私独自の活動があります。厚木市内の小・中学校における大使館員(東京)による特別授業のコーディネーター役を自主的に担っています。これまで、オーストラリア大使館や南アフリカ大使館、ラオス大使館、サウジアラビア大使館、ケニア大使館、ニュージーランド大使館にご協力いただいています。留学生による特別授業も実施したことがあります。
     手順としては、私が小・中学校の校長に「関心のある国は?」と聞きます。その後、大使館に直接交渉です。接点がなくても、元商社営業マンとしてのノウハウが活かされます。児童生徒向けに授業が実施されれば、新聞記事になります。各大使館としても、自国のPRとなります。
     海外との交流も広がり、2014年にはオーストラリア・タスマニア州グラモーガン・スプリング・ベイ市より名誉市民を授かりました。

  • 東京国際大学を選ばれた理由は?
  •  大学受験の際、私は他の大学を一切考えませんでした。理由は二つ。建学の精神である「真の国際人の養成」が私の興味関心と合致していました。
     また、学びたい二人の先生がいる唯一の大学でした。一人は、國弘先生。もう一人の先生とは、浅野輔先生(政治学/2000年他界)です。浅野先生もTBSのニュースキャスター。日本版ニューズウィーク初代編集長もなさっていました。当時、ニュースキャスターには誰もが認める大物が起用されていました。平日の18時30分になると、2つのテレビ局において国際商科大学の先生がテレビに出ていました。私はお二人の講義をテープレコーダーで録音しており、今でも大切に保存してあります。
     ゼミの清水川繁雄先生(1996年他界)は、当時のケインズ経済学研究の第一人者。学んだことは、今でも思い出すことがあります。
     親交のある卒業生の活躍先は様々です。海外との商取引を担うビジネスマン(海外駐在も経験)、スイスのプライベートバンク、温泉地のホテルオーナー、地方自治体の会計監査責任者等です。アメリカの大手・設計技術者支援ツールメーカー社員から僧侶に転身した卒業生もいます。

  • 一年休学して、オーストラリアをオートバイで一周されたそうですね。
  •  私は大学4年生になった1985年春、一年間休学しました。オーストラリアをオートバイで一周するためです。半年、一日12時間労働のアルバイト。お金を貯めました。そして、6年越しの見果てぬ夢を追い求めて、シドニーの地に立つことが出来ました。
     走行距離31,500km半年の旅を振り返ってみると、最も良かったことは、人との出会いでした。沢山の人が荷物満載の若い日本人ライダーに興味を持ってくれて、17軒ものご家庭に泊めてもらい、ダイビングやヨット、水上スキーも楽しみました。
     身に着いたことの一つは、海外から日本を見ること。報道の違いにも気が付きました。日本では外国のニュースは、アメリカ中心。一方、オーストラリアでは、諸外国の事が広くニュースとなっていました。

  • 道なき道を進むタイプのようですね。今後の目標を教えてください。
  •  はい。真面目ですが、なおかつ日本人には3%しかいないと言われる楽天家でもあるようです。まず、 環境政策の伝道師になりたいです。環境政策は大事であることはわかるが、対応は手探り状態。これは大方の地方自治体における実情だといえます。私は、環境教育の制度を整えることにより、現状を好転させたいです。
     また、小選挙区比例代表並立制の改革に寄与したいです。衆議院の小選挙区制度は、死票が多く出ます。結果として、国民の投票行動と政党構成が合いません。1994年の選挙制度改正の際、参議院議員であった國弘先生は、「小選挙区制反対のヘビー級チャンピオン」とも称されていました。
     私は、大学院で海外の選挙制度の講義も受けました。私が出来る事として、まずは望ましい選挙制度についての論文を書きたいと考えています。
    海外オートバイツーリングもしたいです。オーストラリア以外にも、中国シルクロードやタイ、ネパールもオートバイで走ったことがあります。これまで、35ヶ国程を旅しています。ただ、一方で、「それだけで終わりか?」との気持ちもあります。
     海外をレンタルバイクで走るという簡単な方法もあります。鳥取県境港とロシア・ウラジオストック間のフェリーを使えば、ユーラシア大陸を走ることも出来ます。いつか、南米等も含めオートバイで走り、各国の文化に触れたいです。
     今後も大学の建学の精神に沿って「大志・勇気・知性を持った国際人たらん」と胸に刻みつつ、人が気付きにくい課題の解決策を提示し、世の中に貢献して行きます。(2020年7月19日)


    (髙田 浩さんプロファイル)

  • 1964年 神奈川県横須賀市で育つ
  • 1987年 東京国際大学商学部卒業 (清水川ゼミ/ケインズ経済学)
            学生時代は、朝刊夕刊を配達する新聞奨学生
            都内の貿易商社営業マンを経て
  • 1995年 厚木市議会議員初当選
  • 2014年 豪州タスマニア州グラモーガン・スプリング・ベイ市名誉市民
  • 2016年 横浜国立大学大学院入学(環境法)
  • 2018年 横浜国立大学大学院より修士号取得(法学修士)、博士課程へ

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    TIU 霞会シンガポール支部