霞会事務局運営の思い出と躰道
池内和彦さん(1969年卒業 商学部第1期 西山忠三会計学ゼミ 躰道部)

(当時の霞会事務局で)
(当時の霞会事務局で)

池内和彦さんは国際商科大学(現東京国際大学)設立時の商学部第一期生です。
卒業後、株式会社ショーボンド建設、日本躰道協会本部に勤務された後、1987年東京国際大学(霞会)初代事務局長に就任され、2006年までの18年間、ご活躍されました。当時の霞会活動の活動や霞会事務局立ち上げ時の関係者皆さん方のご苦労などをお聞きしました。
また、学生時代から修練されていた「躰道」についても社会人となっても継続されており、世界躰道選手権大会 全日本躰道選手権大会 各種大会に出場して数々の実績を残されています。 
最近は、ブログ「つれづれなるままに」掲載 5000日(閲覧数 550万回)やTAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)会員として、2004年より16年間(マジック出演 300回)、各種イベント、ボランティア活動なども積極的に行っていらっしゃいます。

校名が国際商科大学から東京国際大学となった1985年に、初代霞会事務局長に就任。
1969年、大学を卒業後、ショーボンド建設株式会社に就職をして東京および仙台で勤務していました。
3年後、学生時代に修練をしていた躰道の本部となる東京の日本躰道協会へ転職して、組織拡充運営と実技指導者の専任として従事するようになり、全国の組織拡大と指導のために走りまわりました。
 1980年、ボランティアとして霞会の常任幹事に就任して運営に携わっておりました。当時、同窓会費は永久会費として1万円を卒業生から任意に徴収しておりました。同期の三宅ヨシロウ常任幹事の提案により「同窓会費を学生が授業料を支払う時に預かり金として1万円ずつ徴収した方が良い」となり、大学側に折衝して承認されてから、同窓会費積立金は潤沢になり幅広い運営と活動ができるようになりました。
 1985年に校名が国際商科大学から東京国際大学となるとともに新しく金子泰藏記念図書館が建設されました。「今まで図書室のあった管理棟2階の二部屋が空くので、同窓会で使用しませんか?」と金子泰藏学長より打診があり、同窓会役員会で検討して受け入れることなりました。事務室は提供されるが、専属の事務員が欲しいと協議した結果、日本躰道協会で組織運営に携わってきてノウハウを持っている池内和彦に専任として担当してほしいと当時の金子光男会長より打診がありました。同窓会役員会、臨時総会を経て、私は42才の時に、常任幹事から初代事務局長として就任することとなりました。それまでは、学生課の贄田課長が役員会からの要請で、パートの女性を雇って机と電話1台で同窓会運営を手伝っていました。専任の事務局長を招聘する時の給与対応も十分に配慮されていました。

霞会報の継続発行は、同窓会員からの反響は大きかったです。
いよいよ学生時代からお世話になった金子泰藏学長のそばで同窓会の仕事ができることに喜びを感じておりました。金子泰藏学長とは、大学の第1期生として入学したこともあり、卒業後も手紙などで現況報告をすると必ず返信の書簡を貰いました。躰道に関しても創始者である祝嶺正献最高師範とも意気投合して親しく交流をしており、全日本躰道選手権大会の行われた東京体育館にも観覧に来てくれました。私の結婚式にも来賓として出席いただき過分なるスピーチを頂きました。そのような金子泰藏学長でありましたが、私が霞会事務局を担当する早々に、突如、急逝されました。その日は会議が3つも実施されハードなスケジュールでもあったとのことでした。金子学長は80才の時でした。事務局長としての最初の仕事が青山葬儀場で挙行された葬儀告別式の参列となりました。
  当時、大学のTIUニュースも同窓会報も作成が中断しているときでした。日本躰道協会時代に会報の作成及び編集に携わっていたものですから、同窓会員に対して、大学の創学者である金子泰藏学長の訃報を知らせなくていけないと考慮して、同窓会報を作成して全会員に発送をしました。以後、年2回~4回の定期発刊となりました。同窓会報で金子泰藏学長の訃報を掲載したことを知った大学も中断していたTIUニュースをこの機会に再発刊しました。同窓会報は当初タブロイド4頁のモノクロ版でしたが、最終的にはカラー刷りの冊子スタイルと発展させました。同窓会報はその後霞会報と名称を変えていき、毎号全国各地で活躍する同窓会員の模様を取材して採り入れていきました。その反響はとても大きかったです。組織の普及発展を考慮した場合、会員に現況を広報するものとして霞会報の発行はとても必要なものでした。

(事務局スタッフ体験者の卒業式あいさつ)
(秋霞祭開催中、事務局に訪れた同窓生達と)

霞会の支部会は、当時は北海道と大阪の2支部だけでした。
 私が事務局に就任した時には、霞会の支部会は北海道と大阪支部の二支部しかありませんでした。同窓会役員会(常任幹事会)では、事務局も設置できたことであり、全国に支部を創っていくこととなりました。各県に在住する卒期の早い人に連絡をして現地に赴き説明会を開催して、支部設立総会の開催についての打合せを次々にしてきました。日程と会場が決定すると同窓会本部で支部設立総会開催案内および出欠の返信ハガキを作成して支部の在住者へ発送をしました。そして支部会が全国に続々と設立していきました。その時の活動は、毎週のように土日は現地に出張して打合せを行い、そして支部設立総会と懇親会の当日にも出席して、霞会の活動について参加者に報告をして回りました。ほとんど休日もなく活動をしていた時でありました。現在の各地での支部会の活動ぶりを見ていると楽しくなってきます。
 最近では、霞会シンガポール支部が世界各地で活躍する同窓会員の活躍ぶりをまとめてホームページを作成して広報をしております。霞会員の活躍ぶりを知ることは喜びに感じております。


(霞会全国支部長会議、宮城県松島) 

ミステリー作家、横山秀夫氏(商11期卒)の講演会には800名の方が来場され大盛況でした。
 霞会の主な行事として、6月には定例総会、講演会、懇親会があります。なかでも講演会は講師が同窓生が担当することもあり毎回好評であります。ミステリー作家として活躍している横山秀夫氏(商11期卒)の講演会には800名の方が来場して大盛況でありました。1月には新春の集いが開催されております。アトラクションでは、紙切り芸の林家正楽師匠、江戸物売り声宮田章司師匠など有名演芸人に出演をしてもらいました。また全国の支部や会員から提供された景品が当たる抽選会では盛り上がったものです。全国支部長会議は全国の支部が持ち回りで毎年主管して開催をしておりました。会議の後は懇親会となり交流の場となり、また翌日は主管県支部による観光案内なども実施しておりました。毎年、春と秋にはゴルフコンペがあり、時には大学側と合同開催する大コンペも由緒ある霞が関カンツリーカントリーで開催したこともありました。体育会OB会(藍旗会)とは定期的に交流会を開催して活動の互助体制をしておりました。また霞会正副会長と大学学部長、職員幹部との定期懇談会も開催して情報交換をしておりました。


(ミステリー作家、横山秀夫氏(11期卒)講演会)  

学生時代から修練していた「躰道」について社会人となっても継続しています。
 大学在学中に修練をしていた「躰道」も、卒業後も継続して鍛錬するとともに指導を担当しておりました。 そして、躰道の大会には機会あるごとに選手として出場をしていきました。全日本選手権大会では連続して優勝をしました。全国社会人大会では東京国際大学のゼッケンを背中につけて出場し、優勝とともに栄誉ある「最高師範杯」を何回も獲得しました。全国の躰道指導者が集まる全国範士競技会でも個人の部、団体の部で優勝を果たしました。日米親善大会では選手を代表して宣誓を担当したこともありました。
 海外で活躍をしている同窓生として、躰道部出身の内田光信氏(商学部4期卒)がおります。卒業後、アメリカに渡り、ネブラスカ州の大学を卒業すると、ジョージア州アトランタで「NAC」という会社を創り、日本とアメリカの企業のコンサルタントをしており、多くの政財界の人たちと交流を広げました。東京国際大学の理念に基づいて、世界に羽ばたいて活躍している同窓生の内田光信氏です。また、内田光信氏はアメリカ躰道協会会長として数千人の会員に躰道の理念と実技を指導しております。私もアトランタには、アメリカ躰道大会と世界親善躰道大会の時の二回訪れて選手として出場をしております。

全国躰道選手権大会優勝(個人の部)
(日米躰道親善大会で選手宣誓を担当)

(国際躰道親善大会 アメリカ躰道協会会長の内田光信氏と)  

常に、「吾 動く故に 吾在り」の根本理念を念頭にし、その精神で活動をしてきました。
 私は18年間、霞会事務局長として組織運営に携わり60才の時に後進に譲り勇退しました。金子泰藏学長から「同窓会事務局が大学内にあることは同窓会との密接な関係が構築される」との提案により、事務局用の部屋を無償で提供していただいたことはとても大きかったです。そして卒業後は霞会員となる現役学生を毎年数名募集して事務局スタッフとして手伝ってもらいました。私が在職している間に約40名の学生たちがスタッフとして協力をしてくれました。
 事務局長を勇退した後は、まだなかった霞会東京都支部(現首都圏支部)の設立準備に奔走して組織として立ち上げスタートさせました。その後、霞会常任幹事、評議員からも退いて、現在は首都圏支部の顧問として活動をしております。
 母校・東京国際大学の同窓会(霞会)初代事務局長と勤務できたのも、入学第1期生であったことが大きな要因であります。第1期生の入学者は196名で、当初は、管理棟と校舎の二棟しかない国際商科大学(ICC)でした。教員、職員、学生たちが三者一体となってICCの名前を世の中に広めていこうとの精神がありました。 常に、「吾 動く故に 吾在り」の根本理念を念頭にし、その精神で活動をしてきました。 現在は、現役学生たちの支援に時間をとって活動をしていきたいと考慮しているところです。

(池内和彦さんプロフィール)

  • 1945年 東京都武蔵野市に生まれる
  • 1964年 東京都立竹早高校卒業
  • 1969年 国際商科大学(現東京国際大学)卒業 第1期生商学部
  • 1969年 株式会社ショーボンド建設入社 東京および仙台にて勤務
  • 1973年 日本躰道協会本部に転職
  • 1987年 東京国際大学同窓会(霞会)事務局長に就任
  • 2006年 東京国際大学同窓会(霞会)事務局を勇退

    ◎学生時代から修練していた「躰道」について社会人となっても継続しており、各種大会に出場して実績あり。世界躰道選手権大会 全日本躰道選手権大会 全国範士躰道競技大会 全国社会人躰道優勝大会
    国際親善躰道優勝大会 日米親善躰道大会 等で優勝実績多数あり。
     
    ブログ「つれづれなるままに」http://blog.goo.ne.jp/ikeuchi_1945
     掲載 5000日 閲覧数 550万回

    TAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)会員 所属
     2004年より16年間 マジック出演 300回

    TIU 霞会シンガポール支部