街中でよく見かける居酒屋「かぶら屋」は、首都圏を中心に現在63店舗展開されており、急成長しています。内山九十九さん(1984年商学部卒)は卒業後、築地の水産会社や東京小僧寿し本部で活躍されました。その後、経験を活かして事業計画書を持ち込んで、かぶら屋の運営会社に契約社員として入社。3年後には(株)フードゲート(現在のかぶら屋)の代表となられました。
現在は親会社の(株)フーデックスホールディングスの常務取締役として、コロナ禍における新期事業にも取り組を始めていらっしゃいます。2021年に還暦を迎え、また新たなチャレンジを始めていきたい、と述べられています。
学生時代から築いてきた同窓生人脈を、これからも幅広く広げていきたい。
入学してすぐ、背の低い体育会系の学ランを着た方から声をかけられ、小学校から10年やってきた剣道部を避けるために、「バスケでもやろうかと思って」と言ったところ、その方が、まさかのバスケ部の2年生。小学校時代ミニバスケをちょっと経験したくらいでしたが、バスケ部に入ることに。
入学後半年も経たない時期に眩暈の病気に襲われ部活動を休む事になったことがきっかけとなり、退部。先輩の下宿(はつかり荘)に呼ばれ、説得される中で辞めるのなら、俺を殴ってからやめろ?的な熱いノリから、みんなの前で本当に先輩を殴ってしまって辞めました。(笑)・・・中村先輩。すみませんでした。
しかしながら、そのバスケット部に入ったきっかけから、大学時代、先輩方とのつながりが拡がり、退部後もお世話になりました。
また、駅近くの喫茶店「蓮豆」で2年ほどアルバイトをさせて頂いた事で幅広くOBの方、地元の方とのつながりができ、ゴルフ部やスキー部の方など今でもお付き合いさせて頂いております。
大学時代は殆ど大学にも行かず勉強もせず、パチンコ、麻雀、アルバイトの生活でした。
そのため、ゼミの仲間やクラブ活動の仲間といった大学時代の同窓はおりませんでした。
1年のチュートリアルで同じクラスだった同期から声をかけられ、霞会東京支部の集まりに参加したことがきっかけで、また先輩後輩とつながる事ができました。今では先輩、後輩の皆様に事ある毎に気にかけて頂きお店を利用して頂いており感謝しております。
事業計画書を持ち込み、契約社員から3年後に(株)かぶら屋の代表取締役に
就活も全くせず、父のコネで築地の水産会社に入社。父が静岡で水産市場を経営していたこともあり、食関係であれば、無くならないものであり、食べる事が好きでしたので、水産系で商社的な会社という事で㈱合食というイカ専門の水産会社にコネ入社。
要領がよく、営業成績もよかったのですが、売り上げ予算を達成すると、喫茶店や得意先でサボってばかり。次年度のために、翌月に売上を回し、年度末には翌年に売上を回す。そんなザ・サラリーマン生活。
営業では、美味しいと思っているものをなかなか扱ってもらえない事。自分のポリシーに反して、美味しくないものまで営業マンに販売割り当てがあり売らないといけない事。
自分が美味しいと思うものを直接売りたいと思うようになり、5年半働いた会社を辞めました。
当時の水産会社では週休2日も有給もあり得ず、土曜日は半ドン。朝は6時から市場。日曜もスーパーの応援等もありましたので、まずは週休2日制。年間休日110日に目がくらみ、給与希望に応ずる。そんな広告につられて東京小僧寿し本部の商品部に入社。
入社後1年現場経験を積み、本部で水産会社での経験を生かし仕入れ担当に。バブル崩壊後も数年間は業績も良く、仕入の担当は数を良い商品を数集める事で非常に楽しい仕事でしたが、業績が悪化し始めると一変しました。
このままではいけないと思い、会社への提案を行い、マーケティング部を作ってもらいました。ここでの経験や勉強を多くさせて頂いた事が現在につながっています。
その後、会社への事業提案をいくつか行い、結果として会社での新事業には至らず、自分でやろうと独立を決め退職をしました。
その時の送別会で後輩に連れていかれたのが、今の「かぶら屋」。
年末の忘年会時期の一番忙しい日で入れるお店がなく、後輩からやりたいと思っているお店って、こんなお店ではないですか?と連れて行かれ、混んでいて入れなかったのですが、働いている人達がすごく良い笑顔で、近くに1号店があると教えてくれ、席が空いたら連絡しますと近くの立ち飲みの1号店に行くと、そこで働いているアルバイトの子達がまた、良い笑顔でむかえてくれました。どうして、こんなに良い笑顔で働けるのだろう?
前職では、鏡に向かって口角を上げなど笑顔の作り方を教えていましたが、本当の笑顔はそこにはありませんでした。
翌日、運営会社の㈱フーデックスに事業計画書を持ち込みこのお店を自分にやらせてもらいたいと提案。
翌年、契約社員として入社して3年後に㈱フードゲート(現在の㈱かぶら屋)の代表となり、かぶら屋の事業展開を行ってきました。
元々、お酒をほとんど飲まない自分が居酒屋事業を始めたのですが、昔の居酒屋は屋台的な感じで周囲の人と自然と仲良くなってしまうような場所でした。
ところが、大手チェーンが生まれ、居酒屋の大型化、そして個室化、居酒屋メニューなどと言われ、どこへ行っても同じようなメニューばかり。
そんなお店ばかりとなってしまった居酒屋。都心部では毎日、コンビニ寄ってお弁当とビールを買って、家で一人でと言った人が増える中、会社でもPCに座ってメールでのやりとり。
人と人のふれ合いの場が無くなってしまった。
日常の中で何かホッとする。そんな場所って必要ではないか?
そんな想いで始めたのが「小さな居酒屋」かぶら屋です。
小さな店だからお客様とスタッフの距離も近い。スーパーとコンビニの違いのように、スーパーの方が安く品揃えがあるのにコンビニで買うのは、小さいから入りやすく一つだけ買って出やすい。だからちょっと寄って買う。
居酒屋も同じ。大型店やひざまずいて接客されるような店では一杯では帰れない。
一杯だけでも立ち寄れる。そんなお店がかぶら屋。
小さいお店は収益性が低いのですが、それをカバーするためのシステムが必要となります。
居酒屋というスタイルにファストフードの概念を取り入れ、必要な時に必要なものを作り、必要な時に必要な人を入れる。ジャストインタイムの考え方。
小さなお店でも収益が上がるスタイルを作ってきました。(かぶら屋は現在63店舗。)
昨年2019年12月末で社長退任し若い世代に引き継いでおります。
現在は親会社の㈱フーデックスホールディングスで常務取締役となり、かぶら屋の事業会社は営業に専念する形を取り、本体で仕入れ物流等を担う形にして全体をサポートする業務を行っております。
コロナ禍における現在は、新事業へ向けた取り組みを始めているところです。
今年に還暦を迎え、また新たなチャレンジを始めていきたい。
海外への展開は台湾、上海などに進出していますが、担当がいて店舗運営しています。自分は外へ出ていってはおりませんが、これからの日本企業はもっとグローバルな視点で経営を考えていかなければなりません。超々高齢化を迎える日本、急速な人口減少を迎え、市場が縮小している中、従来型の大量消費時代の仕組みから、いかに無駄を省き必要な時に必要なものを提供する。そうしたジャストインタイムの仕組みがどんな業界にも通ずることと思います。こうした考えを基盤に川上から川下をつなぎ無駄を省く。
そのために、売り場を作り、そこに向けて生産者、流通、システムを巻き込んだ事業展開を図りたい。そんな想いで事業を考えております。
2021年に還暦を迎えます。
自分の一つの夢と申しますか、「たくさんの物語がある人生を歩みたい」と思っておりました。
そんな事で60歳を迎え、また新たなチャレンジを始めて行きたいと考えております。
人生100年時代。
70代でも現役でご活躍をされている方がいます。
多くの人が笑顔で働ける。そんな場所を創っていきたい。働く人もお客様もたくさんの笑顔が生まれる場所を拡げて行くことが自分の役割だと思っております。
自己紹介的な内容となりましたが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。
(内山九十九さんプロフィール)
- 1961年 静岡県静岡市生まれ
- 1979年 静岡県立静岡西高等学校卒
- 1984年 国際商科大学商学部卒 増田謙一ゼミ バスケットボール部
- 1984年 ㈱合食 東京支店入社(築地場外、アメ横、山梨、長野担当)
- 1989年 ㈱東京小僧寿し入社その後合併し㈱小僧寿し本部(仕入・マーケ・商品開発担当)
- 2003年 ㈱フーデックス 契約社員として入社
- 2006年 ㈱フードゲート設立(現㈱かぶら屋)代表取締役
- 2019年 社長退任
- 2020年 ㈱フーデックスホールディングス 常務取締役
(会社ホームページ):
https://www.facebook.com/kaburaya.bz/https://twitter.com/kaburaya_ieg
https://www.youtube.com/watch?v=gAbfGatHRZg