「ニュージーランドは第二の故郷に」
飯島良介さん(1999年卒業 商学部 中西ゼミ TIUA) 

(白馬岳・大雪渓にて 2021年)

Kia Ora!

「一歩踏み出す勇気」
   群馬の田舎町でのびのびと幼少期を過ごした私は、東京国際大学への進学を機に埼玉の川越で一人暮らしを始めました。私に転機が訪れたのは大学2年の時です。

  同学のTIUAプログラムを利用して、アメリカ・オレゴン州へ約1年間の留学を経験することになりました。留学期間で交友関係が世界中に広がっただけではなく、グローバル社会への視野も広がることになりました。その経験を踏まえ、帰国後は、学内で留学生カウンセラーをしながら、異文化交流をしてきました。就職活動を控えた1998年の冬は、長野で開催されたパラリンピックのボランティア活動に参加し、選手村でジムの手伝いをする中で、将来を考えながら模索する日々を送りました。 卒業後は東京に本社を置く電子部品の会社へ就職。幸いにも学生時代に学んだ英語を使える海外部に配属されました。

  「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉がありますが、まさに私の社会人一年目はヨーロッパ方面を担当していたこともあり時差の関係で、毎晩、終電近くまで働く日々を過ごし、同社で多くのことを学ばせて頂きました。同社での三年間の勤務の中で、海外へ行くチャンスが何度かあり、アメリカやヨーロッパへも行く機会を与えて頂きました。当時は、特に携帯電話市場が真っ盛りで、供給よりも需要が伸びていたため、私の業務では、迅速な納期管理が求められました。いま、思えば、時代の最先端であったハイテク産業で働いていたものだなぁと、しみじみと振り返ることもあります。

  例えば、その当時、“ハンドキャリー”といって、部品を自社スタッフ自らが運ぶという仕事がありました。具体的には、前日に常務に呼び出されて「明日、ドイツへ行って来てくれ!」と指示され、すぐに航空券を手配し、新宿の本社から営業車で埼玉にある工場まで部品を取りに行き、翌日の朝にはドイツへ部品を持って運ぶという、“運び屋”のような仕事です。

  そんな多忙な日々に対し、少し休養が欲しくなった頃、大学時代の海外経験を振り返り、新しいステップへ踏み出すことを決意しました。最初は、安定した仕事を捨てるということに少し躊躇しましたが、若かったこともあり、思い切って自分の世界を大きく広げたいと思うようになっていました。


(1999年~2002年:日本電波工業時代の写真、イタリア出張)
 

「人生無駄なし」
  2002年のサッカー日韓ワールドカップが終わる頃に大学の先輩の勧めでニュージーランドのことを知り、一念発起して、ワーキングホリデービザを利用して人生初のオセアニア方面へ。今思えば当時は、ニュージーランドと言えば羊とオールブラックス程度の知識でした。最初は、思い出深いアメリカ留学のあとのニュージーランドへの渡航だっただけに、そこまで期待もなく、最初は、ニュージーランドのことをあまり好きになれませんでした。

  そんな私でしたが、もともと、アウトドアに興味があり、偶然にもニュージーランドの南島の世界遺産に指定されているアオラキ・マウントクック国立公園にてトレッキングガイドとして働くこととなりました。仕事を始めたころは、山登りもさほどしたことがなく、植物や動物の知識もほぼゼロだったので、しばらくは勉強の日々でしたが、2~3年ほど働き続けているうちに、色んな人たちと出会いを通じて、その仕事の面白さに気づいていきました。気が付けば、最初は期待もしていなかった、ニュージーランドの大自然の魅力にハマっている自分に気づき、労働ビザや永住権の申請をすることになりました。


(Mt.Cook国立公園内のMt Sefton – 3,151mをバックに)
 

  当時、労働ビザの申請が厳しく、自分自身諦めていたころ、勤めていたホテルのオーナー夫妻にサポートレーターを書いていただき、それを機に、一気に永住権取得まで辿り着くことができました。日本では “コネ”というとあまり良いイメージはありませんが、もともとは、英語のコネクション。すなわち、人との繋がりを意味し、私は自分の経験から、ニュージーランドでのコネクションの重要性を実感しました。

  オーナー夫妻との出会いもまた偶然でした。ハイキングを催行しない冬期に、私は、ホテルの予約課で働く機会に恵まれました。それは、慣れない仕事でしたが、そこでたまたまオーナー夫妻に出会うことに。“人生無駄なし”という事を身をもって体験しました。 最終的に、同ホテルでは、ハイキング部門のマネージャー職を経験することになり、気が付けばニュージーランドでの生活が10年以上経ち、その頃には、すっかりこの国の魅力にとりこになっていました。

  家庭の都合上、2014年に日本へ帰国することになったのですが、偶然にもニュージーランド政府観光局の仕事が舞い込んできました。願ってもない仕事に最初は、まったく自信もなかったのですが、駄目もとで挑戦することにしました。

「今も英語を学びつつ、ニュージーランドのストーリーテラーに」
  現在はニュージーランド政府観光局の東京事務所にて旅行会社担当をしています。同観光局は、日本からニュージーランドへ訪問する人たちに対し、マーケティングを行う組織です。2019年のラグビーワールドカップ日本大会では、オールブラックスとともにニュージーランドのプロモーション活動を行いました。私は、ニュージーランド現地のマオリ・パフォーマンスグループたちの世話役となり、日本各地でハカなどのマオリ文化を紹介しました。ちなみにニュージーランドの先住民・マオリは自然を大切にする日本の文化とも似ていて、ニュージーランドをご紹介する上では欠かせないエッセンスの一つです。


(2019年マオリ・パフォーマンスグループとの記念写真)
*2019年の RWCプロモーション動画はこちら:最高の舞台を39(サンキュー)!
#nzsays39

 

(卒業後もTIUAの仲間たちと)

  将来的に旅行業界は、サスティナブルツーリズムが進むと思われますが、世界の中でも旅行先の一つとしてニュージーランドは、注目される存在になってくると私自身は信じています。ぜひ、多くの皆様にニュージーランドのことを知っていただき、一度は訪問してほしいと考えています。私の半生に関心を持っていただいた方や、ニュージーランドについてもっと知りたい方は、この機会に「100% Pure New Zealand」のウェブサイトをチェックしてみてください。皆さんの人生を変える体験ができるかもしれません。そして、そのときは、ニュージーランドのどこかでお会いできることを楽しみにしています。コロナ禍において、旅行業に携わる身として、大変厳しい状況が続いていますが、国境の再開に向けてしっかりした準備を進めて行きたいと思います。

  “He waka eke noa – We are all in this together”


(世界遺産:アオラキ・マウントクック国立公園)
 

  東京国際大学、そしてTIUAで学んだことを活かして、これからも楽しい人生を送りたいと思います。

  Ngā mihi: Thank you
 

(飯島良介さんプロフィール)

  • ——-    群馬県出身
  • 1995年   群馬県立伊勢崎東高等学校 卒業
  • 1995年   東京国際大学商学部 入学
  • 1996年   TIUA (アメリカ・オレゴン州)にて1年間留学
  • 1999年   東京国際大学商学部 卒業 (中西ゼミ)
  • 1999年   日本電波工業株式会社 入社
  • 2002年   ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドへ
  • 2014年   帰国、2016年よりニュージーランド政府観光局にて勤務(現在に至る)

    *ニュージーランド政府観光局公式ホームページ
    https://www.newzealand.com/jp/
     

    TIU 霞会シンガポール支部