東南アジア6カ国駐在をして思うことは、Fairnessな立ち振る舞いをする事の重要さです。
阿久津晴彦さん(1986年卒 商学部 川島ゼミサーフィン同好会)

(2022年10月 Toyochem Speciality Chemical本社執務室にて)
東京国際大学を卒業後、東洋インキに入社、1992年からアジア6か国に赴任

1986年4月に東洋インキ製造株式会社に入社。6年間朝日新聞社を担当し、90年からは並行して丸1年間九州全域新聞社新規開拓を担当。それ迄の「新聞社担当」というどっぷりドメスティック営業から92年いきなり半年間の海外要員養成コースに半ば強制で参加させられ、香港にトレーニー兼華南地区新聞事業マーケティング担当として着任。此処から私の海外駐在生活が始まりました。

思えば当時国際部長の「お前みたいな活きのいいのが海外向いてんだよ」というエレベーターホールでの何気ない一言で「ああ、俺は海外向きなんだ」と貿易実務も無知英語も朝の挨拶位しか出来ない「気合と活きだけ」の若造が海外に飛び出して行く事になりました。
(後日談:部長はそんな事言ったっけかなと覚えてませんでしたが)

1992年にトレーニーとして初の海外駐在生活を香港でスタート。
(1992年11月~1993年4月 Toyo Ink Hong Kongトレーニー時代)

初ボーナスで買った憧れのゼロハリバートンのシャンパンゴールドアタッシュケースを手に当時の啓徳(カイタック)空港に降り立ちました。今でもスターフェリーに乗り路面電車を利用しての通勤は忘れることができません。トレーニーでありながらまるで旅行者気分の「非日常」を楽しみながらの初海外生活をスタートさせました。

当時の香港マカオ・深圳地区は成長に向け一直線の熱気と裏町のカオスで猥雑な状態が混然とし常に映画のワンシーンに自分が置かれている様な毎日が興奮状態でした。コミュニケーションはそれこそ「絵を交えた筆談&気合のボディーランゲージ」です。それまでの人生で経験した恥と冷や汗の二乗分位をかきつつも実務経験を積み何とか皆の期待に応えるような新規開発を成し遂げ沢山の事を最前線フロントラインで経験した事により、日本国内では得る事のできないスピード感、ダイナミックさに魅了され「やっぱり俺は海外だ」と思いを定めたのでした。

そして実績が評価され半年の海外研修を打ち上げ、翌年93年5月から当時手つかずの台湾市場新聞社開拓という役割で台湾東洋油墨有限公司に正式駐在となります。

台湾駐在中の宴席で『習得した技』が、後々中国本土ビジネスに活かされて来るとはその時は思いもよりませんでした。(1993年5月~1994年7月 台湾東洋油墨有限公司時代)

「営業統括 Sales GM」という当時の名刺が残っています。年上ばかりの販売部隊を統括する立場です。香港時代とは一変「のんびり家族的」人の気質は最高ですが、時間にルーズな事に加えて過去の歴史的背景・生活習慣の違い等気を遣う事や戸惑う事も多い日々も何事にもポジティブに職務に励んでいました。主要スタッフが日本語を堪能に操る事等から仕事はすっかり日本語での指示出し報連相と今から思えば貴方は何様ですか?という感じでしたし、若さに任せて毎晩の宴席、飲み屋での中途半端な中国語(普通話)と無茶な酒の飲み方で飲みニケーションはマスター領域に達しましたが、今から思えばもっと謙虚な姿勢で職務に当たり、中国語を真剣に勉強しておくべきだったと反省しています。

一方宴席で『習得した技』が、後々中国本土ビジネスに活かされて来るとはその時は思いもよりませんでした。皆良く言うことを聞いてくれるし、宴会に次ぐ宴会、何か自分が偉くなったような錯覚に襲われていました。当時の上司である社長(総経理)とぶつかる事が多くなりました。売り上げ増と言う実績を残しつつも、本社は組織運営・統率の面から私を台湾から外す決定をしたのでした。

タイ駐在は、起死回生・捲土重来の思いで必死に職務に当たりました。
(1994年9月~2001年3月 Toyo Ink Thailand)

不本意な形で「よこよこ」で台湾からタイへ駐在となりました。此処でのポジションはMarketing GMです。台湾での反省・会社の意思決定の現実を思い知らされた私は、起死回生・捲土重来の思いで必死に職務に当たりました。初日にいきなり英語で自己紹介を幹部社員の前でさせられホワイトボードに自分の名前位しか書けなかった自分を恥じ、その日のうちに日本人会で英語の家庭教師(カナダ人)を紹介してもらい、どんなに夜遅くまで飲んで帰っても毎朝6時から1時間の個人レッスンを毎日休まず続けました。するとどうでしょう、3か月程経ったある晩なんと英語で夢を見たのです。すると信じられない事に相手が話している言葉がどんどんキャッチアップできて直ぐに文脈から意味が理解できるようになり、ボキャブラリーが増えて話す事が楽しくなってきました。駐在を終えるころには会計士や弁護士等とも可成り込み入った話ができる位のレベルに迄コミュニケーション能力が上達しました。しかし嬉しい経験ばかりではありませんでした。

97年6月末に起こった「通貨危機」です。一体何が起きたのか理解出来ないうちに会社はみるみる赤字に転落。お客様も倒産の嵐、回収不能不良債権の山、寝むれない日が続き体調不良で挙句に円形脱毛症になり地獄を見た思いでした。しかし皆と一緒に「明日は必ず良くなる」と信じて誠心誠意職務にあたり、1年半後には再び黒字会社として累損も一掃し復活したのでした。この時一人も解雇することなくボーナスは出せませんでしたが、給与も滞らせることはなく支給したことにより会社への帰属意識が高まり定着率が改善し、その時の核人材が後々この会社の主要幹部・役員となって事業を健全・強力に牽引してくれていて今でも彼らとやり取りが続いていることは私の財産です。

その後2001年3月に本社国際本部に戻り4年間を主に欧州北米・中国本土の新規事業系推進と言う役割を経て、再び海外勤務の命を受けてマレーシアに駐在となります。

マレーシアは「多様性を受け入れる社会」、マレー系、中華系、インド系と混然一体調和しお互いを尊重して生活している様子は新鮮でした。(2005年3月~2011年7月 Toyochem Specialty Chemical Sdn Bhd )

Chairman & Managing Directorとして初の現地トップとしての赴任です。今で言う「多様性を受け入れる社会」マレー系、中華系、インド系と混然一体調和しお互いを尊重して生活している様子は新鮮でした。当時この会社はKL株式市場に株を上場している東南アジアグループ会社の中でも優良企業でしたが、赴任の最重要ミッションはなんと「非上場化」でした。年一回の株主総会でもそんな事は言える筈もなく、株主集団訴訟に怯えつつ最大限注意を払って密かに計画を推進しました。

此方は初期計画通りに事が進み無事ミッションコンプリートとなったのですが、矢張り忘れられない出来事は2008年の所謂「リーマンショック」です。一瞬にして不況真っただ中という状況に立たされましたが、タイでの通貨危機の経験があったおかげで落ち着いて適切に諸事対処することが出来、被害を最小限に食い止めることが出来ました。そしてタイ時代同様一人も解雇せず給与をカットすることなく、ナショナルスタッフと共に職場・生活の糧を守ったのです。この時の皆を信頼して任せて責任から逃げない姿勢が後の職務に役立つのです。

又同時期グループ会社であるベトナムの立て直し再構築、インドネシアの新規事業立ち上げにも携わり、会社経営のダイナミズムと社員に対する責任の重さを日々実感していました。


(2009年頃に当時のアブドラ・アマド・バダウィ首相に、世界初工業化用途で
当時開発に成功したパームオイルの印刷インキの説明に首相府に伺った際の写真)
 

インドネシア赴任時は「労務問題・組合問題」で嵐が吹き荒れており、膠着状態
(2011年10月~2016年12月 PT Toyo Ink Indonesia 駐在時代)

今回も「よこよこ」でPresident & CEOの肩書での赴任です。大きく成長を期待されている会社に十分な経験を積み意気込んで乗り込んできたつもりでしたが、何か勝手が違います。当時は「労務問題・組合問題」で嵐が吹き荒れており、全く理屈の通らないようなプロセス、論理で工場封鎖、社員監禁、業務妨害と打つ手がありませんでした。相互理解に努めようも箸にも棒にもかからない。「労使」ではなく「日本人vsインドネシア人」といったナショナリズムが先鋭的にぶつかり合う構図でした。

目前のビジネスチャンスを逸したくない機会損失を避けたいとの思いが焦りを生み、日々悩み相談する相手も何処かで繋がっていて情報漏洩しているのではないかといった様な不信感の中での職務でしたが、膠着状態の中で一筋の光が見えました。それは矢張り相手をRespectし相手の言葉で理解しようとする姿勢です。皆金持ちになりたいのではなく「今より少しだけ豊かに幸せな生活を送りたい」と願っている事を理解したのです。ですから壁を取り払い私から積極的に会話の機会を設けました。そして一緒に「より良い職場を作って行こうよ」と呼びかけました。

このきっかけは対話の中で拾った言葉「ゴトンロヨン(インドネシア語で相互互助の精神)」の実践です。たったこれだけの事で信じられない事に職場の雰囲気が一変し協力者がどんどん増殖、「わからんちん」言っていた組合幹部が同僚スタッフから窘められるという様な状況変化となりました。此処で経験し肝に落ちた事は「乗り込んできた」ではなく「軒先を借りて商売させて頂きに来た」からお互いを尊重し共に進んでいきましょうという極めて当たり前の基本に立ち返った精神・所作だったのです。

数々の思い出を後に再び本社国際本部に戻り、北中南米の関係会社事業のフォローを主なミッションとして2年間を過ごし、そしてなんと今度はインドへの赴任です。

6か国目の赴任はインドへ、コロナ過で突然のロックダウンで飢え死の恐怖を実感
(2019年1月~2022年3月 Toyo Ink India 駐在時代)

Chairman & CEOという役職で6か国目の赴任です。長らく海外業務に携わっていながら最も疎遠としていた国です。赴任命令が出たときは一瞬たじろぎましたが「本社以外だったら何処でも希望地」と直ぐに覚悟を決めて着任しましたが、三か月後に「どうして俺はもっと早くインドに来なかったんだろう!」と悔しい思いをする事になるとは思いもよらない事でした。何しろ将来性や市場の大きさ厚みが今迄の何処よりも桁違いにある。そんな国でトップとして働けることの幸せを感じて着任二年目で赤字会社を脱却し、黒字化に目途を付け「よっしゃー」と思っていた矢先の「コロナ禍」です。

突然のロックダウン、情報遮断、閉じ込められたアパートで2週間程過ぎた頃にみるみる食糧・飲料水が底をついて来る現実に直面し、初めて飢え死の恐怖を実感しました。しかし人間は逞しいものでこの頃になるとデリーのど真ん中にロバに引かれたリヤカーで新鮮な野菜を積んで物売りが来るようになり、却って健康的な生活を送る意識が芽生えたお陰で10kgの減量に成功入社当時と同じ体重・サイズと言った健康状態に戻る事が出来、後日産業医の先生から驚かれる事となりました。

一方仕事の方は、全てが未体験ゾーンです。会社の安全管理、社員の健康管理、事業継続の為の役所対応とリモートでの対応でもどかしく思い通りに事が進まないことも多くありましたが、矢張りここでもスタッフを信じ任せ責任は俺がとるという姿勢を貫く事で力強く復活をする事になるのです。今やグループでも Top5 に入る優良企業となっています。そして濃く熱いスタッフと共に過ごした 3年間の思い出を後に、何と2度目のマレーシア駐在を命ぜられます。

2度目のマレーシア赴任。今迄の海外での経験を通じて強く思うことは、常に『Fairness/公明正大』 な立ち振る舞いをする事の重要さ (2022年4月~ Toyochem Specialty Chemical Sdn Bhd 駐在)

2度目の同じ役職での赴任です。前回は家族帯同今回はKLチョンガーです。勝手知ったるマレーシアでの2度目の駐在生活はゴルフばかりでなく、文化面でも趣味面でも新たな経験を沢山したいとわくわくしています。さて、仕事の方ですが以前からの秘書が居てくれたりドライバーさんも変わっていなかったり中堅だった幹部が MD になっていたり夫々事業責任者になっていたりと着任当日からほぼ違和感なく職務に当たることが出来ましたが、大きく変わっていたのは業績悪化で業態変化をしなければいけないという切羽詰まった状況である事です。

何故こうなってしまったのか過去10年間をあれこれ言っても詮無き事。気持ちを切り替え明日へ向かって進むだけです。それに皆から頼りにされている、安心感を持って受け入れられていると感じていますので此れに十分応えない訳にはいきません。今迄の経験、知識、思いと少しのテクニックを縦横無尽に駆使し恩返しではありませんが皆のために一働きするつもりです。

有難い事に過去苦楽を共にしたタイ、ベトナム、インドネシア、インドのメンバーも積極的に応援の手を差し伸べてくれています。相互互助、Respect、謙虚さ、其れに常にポジティブで明日はもっと良くなるさ!と信じて行動に移す事の大切さを改めて噛締めて実感し日々新たな気持ちで過ごしています。

今迄の海外での経験を通じて強く思うことは常に『Fairness/公明正大』 な立ち振る舞いをする事の重要さです。これは幾多の困難な経験辛い決断をしてきた中で芽生えてきたものです。又日本人としてアイデンティティを保ち民間外交の一翼を担っているとの自負自覚も必要かと。こちらは若気の至り、山ほどの恥の経験等を通じて一層思いを強くしています。

(阿久津晴彦さんプロフィール)
1986年3月東京国際大学商学部卒 川島ゼミ サーフィン同好会
1986年4月~1992年10月東洋インキ製造株式会社に入社 新聞社担当
1992年11月~1993年4月Toyo Ink Hong Kongトレーニー兼華南地区新聞事業 マーケティング担当
1993年5月~1994年7月台湾東洋油墨有限公司 営業統括 Sales GM
1994年9月~2001年3月Toyo Ink Thailand, Marketing GM
2001年3月~2005年3月本社国際本部 欧州北米・中国本土の新規事業系推進
2005年3月~2011年7月Toyochem Specialty Chemical Sdn Bhd, Chairman & Managing Director
2011年10月~2016年12月PT Toyo Ink Indonesia,President & CEO
2017年1月~2019年12月本社国際本部 北中南米の関係会社事業のフォロー
2019年1月~2022年3月Toyo Ink India, Chairman & CEO
2022年4月~  Toyochem Specialty Chemical Sdn Bhd, Chairman & Managing Director

 

 

TIU 霞会シンガポール支部