たたかう!ランドスケープアーキテクト
鈴木マキエさん(1995年 国際関係学部入学、長谷ゼミ 1996年TIUA、2000年ウィラメット大学卒業:BA in Art & Sociology)

© Kayako Sareen

1996年TIUA生、2000年ウィラメット大学卒業生の鈴木マキエです。
現在はシアトルを拠点とするランドスケープアーキテクチャー会社「GGN」の一員として世界各国の都市・地域開発やデザインプロジェクトに参加させていただいています。

獅子白兎のTIUA・ウィラメット留学生活
フィリピンやブラジル出身のご近所さんが多い地区で育った私は、子供の頃から「広い世界が見たい」と漠然と留学を思い描いていました。が、しかし、その夢とは裏腹に、英語も含めテスト直前に詰め込み乗り切る「横着者」にグングン育った結果、進路決定時に正規留学は難しく、幅広い英語レベルの生徒を受け入れているTIUAプログラムに惹かれTIUに入学。ろくに英語ができないままオレゴンへ行くことに!
そこで学んだのが、私の英語力では宿題を適当にやって無難な成績を取ることは不可能ということ!要領で流すことは通用せず、人生初めて真正面から勉強に取り組まなければいけなくなってしまいました。これを機に一生懸命勉強することが楽しくなったのは私の人生を変えた大きな出来事でした。

寮でも日本・アメリカ・海外からの留学生問わず一生懸命友達作りに励みました。当初、無口で小柄な私に対するアメリカ人の第一印象は典型的なおとなしい日本人。単に英語が話せなかっただけなんですが。。。 笑) 面白い冗談が言えないのはまだしも、かなり面白い冗談で笑わ(え)ない私を、「面白好きなヤツ」と理解してもらうのに当初はかなり苦戦しました。が、出川哲郎流さんも推奨の「魂で話すアプローチ」で交流し、少しずつ友達の輪を広げていきました。友達を作るのに人生で一番努力したのはこの時だった、と感じます。


Willamette University International Dinner 国際留学生の皆と。 

努力の成果もあり、寮を追い出される夏休みはアメリカ人の友達数人の家に寄せてもらい貴重な経験をしてきました。中でも印象的なのは、制限速度のないモンタナで友人が仮免中だった私に運転練習させてくれた際、日本ではありえない古さのバンのギア変更が難しく、急な山道の下り坂カーブでスピードが出すぎ同乗者全員(2021年の投稿者飯島さん含む)が「殺す気かー!」と恐怖に陥った件、ワイオミングの友人の牧場で映画「The Horse Whisperer」のモデルになった馬小屋に寝泊まりしたワイルドな日々、牧場到着と同時にオーストラリア出身のカウボーイ達に向こう訛りで「%$x0&*#パレード行くか?」と聞かれ、「Yes]と答えたら馬車にポーンと乗せられ、見物に向かうと思いきや沿道に現れた大勢の人々に手を振られ、パレード登場を果たしていたドッキリ!事件、日本人の名前が覚えられない友人の伯母さんに「ジュリアロバーツ」というニックネーム(?)で呼ばれ、田舎街で名前を耳にした人々を「えっ、どこにいるの?!?!」とキョロキョロさせた件などなど、今でも集まれば話題に上る武勇伝がたくさん誕生しました。

TIUAやウィラメット時代を振り返ると宿題一つから友人関係、日常生活に至るまで何においても一生懸命、獅子白兎で立ち向かった日々だったと感じます。ここで培った頑張る精神は後の過酷な建築系大学院の時代を乗り切る基礎にもなったと思われます。


ワイオミングでのカウボーイライフ。 

発見!ランドスケープアーキテクチャー
ウ大卒業後は憧れの街サンフランシスコへ。直接仕事に繋がる専攻でなかったこともあり、就職難に直面。そこで公園を通じて地域向上を目指すNPOで研修生をしながら社会に役立つ専門分野で大学院に進むことを考え始めました。NPOで担当した土地利用調査や市民参加型公園計画の企画、公聴会への参加などがきっかけで、都市計画に興味を持ち、大学院進学を念頭にカリフォルニア大学バークレー校のキャリアフェアに参加。申し込みの際2つの学科のセッションが選べるんですが、都市計画の他にもう一つ「なんだろ、この学科?」レベルで選んでみたのがランドスケープアーキテクチャーでした。軽い興味で受けたセッションでしたが。。。 実は社会学や環境のみならずアートも絡んだ面白い分野であることが発覚!早速心変わりし、大学院はランドスケープアーキテクチャーに決定!

翌年、都市での環境デザイン、コミュニティーデザインが強いシアトルのワシントン大学に進学。大学院ではイタリア、中国、台湾などに短期留学。神戸でも震災復興後のまちづくりに参加するなど、多忙でしたが様々な風土、文化、そしてデザインプロジェクトを体験できました。最終的にはランドスケープの修士号に加え、都市計画学科とコラボのアーバンデザインサーティフィケイトも取得し卒業しました。

日本語ではランドスケープアーキテクチャーという分野を包括する言葉がなく、緑化、造園、園芸などと部分的な面で訳されてしまいますが、庭や外構だけでなく、色々な分野と連携を図り都市や地方、コミュニティと一緒に地域のビジョンを打ち立てていくという大規模なスケールや公共空間、グリーンインフラに関わるプロとしても活躍している分野です。

キャリアで学ぶ
SASAKIサンフランシスコでは、実戦でスキルを磨く
卒業と同時にサンフランシスコに舞い戻り、SASAKIという建築、土木、インテリア、エコロジストなど多分野が存在する総合設計オフィスに就職。関係分野の専門家と身近にやり取りしながらプロとして必要な知識やスキルを学びました。最初に取り組んだプロジェクトの一つ、アメリカ最大級の港、LA港の工業地区に大きな公園や遊歩道を作ったプロジェクトでは長年工業地帯に住んでいる人々の住環境の向上に貢献できたことに加え、多数の賞などをいただき、キャリア初期から有意義で面白いプロジェクトに恵まれ幸運でした。
しばらくするとバージニア大学に移った大学院時代の恩師から常勤講師をしてみないかと声をかけていただき、挑戦を決意。1年半程働いたオフィスから半年間の休職許可をもらい、大学のあるシャーロッツビルへ引っ越しました。

バージニア大学で初めての教鞭を取る
アジア人、女性、英語が訛っている、(他の先生と比べて)若い、小さい。。。 私という人物は登場した瞬間に「立派な先生だ」という印象を与える要素は皆無です。想像通り指導者としてのリスペクトを得るのが最初のハードルとなりました。多くの助言や応援の中で、特に響いたのが「全てを知っている必要はない。教える相手より一歩先を行っていれば、その一歩について教えることができるから」というものでした。リスペクトを得るために無理に先生らしく振舞ったり、本来の自分より大きく見せたりする必要はない、自分の貢献できる形で自分らしく頑張ればいい、と思えた言葉です。

結局、当初半年だった予定は2回の延長により2年近くになり、徐々に自分の教えるスタイル的なものが見えてきました。豊富な現場経験のある指導者が少ないのが弱みだと学生時代から感じていた私は、現場の知識や経験を共有できる先生になりたかったので、もっと実践経験が必要と考えていました。そんな時、徐々にリーマンショックの波及を受け教員志望者が急増。それを機に現場復帰を決断。不景気真っただ中で元のオフィスは苦戦中だったので、元上司が移動した先のボストン本社で再就職となりました。 バージニアでは試行錯誤の日々でしたが、ご指導いただいた先生方や今では友達・同僚になっている生徒達のおかげで充実した日々を送ることができ、いい思い出となっています。この経験は現在客員教授をさせてもらっているワシントン大学でも生かされています。


バージニア大学の生徒たちと。 

SASAKIボストンでは、中東やアジア各国の大規模開発、街や各地域のビジョン形成や骨組みのデザインなどに取り組む
現場復帰したボストン本社ではアジアと中東を中心に都市デザインや大きなスケールのマスタープランなどを担当しました。アーバンデザイン、建築、土木、エコロジーの専門家と一緒に中東やアジア各国の大規模開発、街や地域のビジョン・枠組み形成や空間デザインなどに取り組みました。

ヨルダン側の死海、4000haのマスタープランは中でも思いで深いプロジェクトです。世界一標高が低い「死海」はそのユニークな成分で体が浮くことや貴重なバスソルトとして有名ですが、その珍しさは水自体だけではなく、ワディと呼ばれる渓谷や、希少種達が利用する広大なタマリスク(低木)の森などの周辺環境にも及びます。農業発展による水源ヨルダン川の水量低下に伴う死海の水位低下は年に1mにも及び、毎年ビーチがリゾートから遠ざかってしまう問題、テロ防止策で立体/地下駐車場設置が困難で歩行者環境が厳しい点やセキュリティ管理が水際を私有地化している問題、必要な真水と汚水の再利用のバランスが取れた開発スピードの調整などなど、社会的課題も特殊でした。
中東のマーケティングの専門家や環境エンジニアも交えた専門家チーム全員で環境、政治、経済、テクノロジーなど全ての面に渡り、どうしたら現在の問題に答えながらも、より良い未来の可能性を守っていく持続可能なデザインができるか検討し、死海という場所にしかない良さを基軸に、真珠のネックレスのように小さめの開発を要所に展開し繋いでいくストラテジーを考案。ヨルダン初の環境アセスや住人公聴会も開き、地元民やリゾート従業員のための機能的で活気ある本物の街づくりも提案しました。
初めてリード的なポジションで、自分の力不足を痛感したプロジェクトでしたが、とても多くの学びがあり、個人的に大きく成長できたプロジェクトでした。


   Dead Sea Development Zone Detailed Master Plan(提供:SASAKI Associates) 

GGNシアトルで、数か国の興味深いプロジェクトに携わる
多数のマスタープランプロジェクトを経て、実際の建設経験を求めて、コンセプトから建設まで丁寧に手掛けることで有名な現在の会社GGNに入社。シアトルに戻り早10年、時折ワシントン大学で教えながら、アメリカ全土や数か国に渡り大学やハイテク企業のキャンパスや複合開発、会社の無償活動を利用したNPOによるホームレスの住居プロジェクトまで幅広く興味深いプロジェクトに携わらせていただいています。2018年のコンペ時から参加している大阪の「うめきた2期」もその一つです。

うめきた2期。GGNチームはプロジェクト全体のランドスケープビジョンからコンセプトレベルのデザイン、都市公園区画は詳細までリードデザインとして担当
うめきた2期開発は2024年先行オープン、2027年完成予定の複合開発で関空と大阪駅をつなぐJRの新しい駅の真横に位置している計9haのプロジェクトです。敷地の中心に位置する4.5haの都市公園の他、商業やインキュベーション施設、コンベンションセンター、3つのホテルに2つの住宅棟なども含めた街区となる予定です。
詳しくはオフィシャルウェブページもあるので是非ご覧ください:https://umekita2.jp/

私達GGNはプロジェクト全体のランドスケープビジョンからコンセプトデザイン、都市公園区画は詳細までリードデザインとして担当。クライアントとなる事業者9社をはじめ、複数の建築事務所を含む日本のデザインチームと共にデザインに取り組んでいます。
GGNの特徴としては与件や機能面のみならず、独自のデザインプロセスによりその土地の普遍的な本質を探り出し、模倣やコピペではない、その土地にしかない・その場所で一番輝ける本物のデザインを提案していく点です。
歴史・文化、社会環境、生物多様性など色々調べると「何もない」とか「価値のない」場所などなく、どこでも興味深いストーリーや地元の人が自分の街を感じる瞬間が存在しています。それをどう可視化し、機能・与件、自然環境やコスト、そして様々な人々の意見などとのバランスを取って表現していくか、プロジェクト一つずつ丁寧に検討していきます。
もちろん、うめきた2期でも色々な調査・分析を重ね、淀川と深い関りがある豊かで潤った大地の記憶や橋の街大阪をインスピレーションに、海外に誇れる日本らしさも現代的にデザインに織り交ぜていきました。

初めての日本のプロジェクトなので日本特有な事を学ぶ機会が満載です。高度な技術や完成度など世界に誇れる点も多い中、縦割りや保守的なアプローチが主流であること、専門的なデータ分析より経験則を重んじる傾向、事例主義など、公共空間の向上には多くの課題やハードルも多そうです。個人的に最初の事例自体がどうできたのかは「卵が先か鶏が先か」並みのミステリーだと感じています。
お店などは雰囲気をとても大事にするのに公共空間は機能さえしていれば安っぽくても仕方ない、とあきらめているのが日本人の感覚と感じることがありますが、公共空間の質を付加価値としてではなく街のバイタリティのベース・インフラとして捉えていくことにより、地域や街、日々の暮らしの豊かさの向上に繋がっていくのでは、と思っています。コロナの影響もあり、世界中で屋外や公共空間価の値感が見直されてきている今、日本でも新しい公共空間や地域のあり方に取り組む機会が増えることを願っています。

うめきた2期ではGGN 創立者の一人、世界的にも巨匠的存在であるキャサリンと深く協働することができ、共にプロジェクトに貢献できたことや、日本チームも含め様々な方々から学べた事に感謝しています。都市公園はこの春工事が開始されましたが、これからも気を抜かず、最後まで日本チームと一緒に頑張っていきたいと思っています。


うめきた2期開発-鳥瞰イメージ(提供:うめきた2期開発事業者) 

「たたかう、ランドスケープアーキテクト」として、試行錯誤しながら自分らしくチャレンジして行きたい
最後に「たたかう、ランドスケープアーキテクト」のタイトルですが、去年行った日建設計講演の際、友人に「私らしい」と提案されたタイトルです。TIUA時代の「負けない」精神が反映されているのでは、と感じます。ここ数年パンデミックや治安・政情の悪化など、世界中暗いニュースが多く凹みがちな日もありますが、私が「たたかって」いけるのも様々な方々のサポートあってと再痛感させられた機会でもあります。
日本での公共空間向上やランドスケープアーキテクチャーの普及を考えると、どう「たたかって」いくべきか(まだ)分かりませんが、また試行錯誤しながら自分らしくチャレンジしていけたらなと思っています!
何か「たたかうランドスケープアーキテクト」がお役に立てそうなことがあればご一報をいただければ、と思います!

(鈴木マキエさんプロフィール)
名古屋出身 愛知県立千種高校卒業。
1995年TIU国際関係学部入学、長谷ゼミ。
1996年TIUA、2000年ウィラメット大学卒業:BA in Art & Sociology。
2012年 GGN Ltd入社 現在の役職はPrincipal。

GGN: https://www.ggnltd.com/

米国シアトルを拠点にするランドスケープアーキテクト。TIUAの後、ウィラメット大学へ編入、Bachelor of Arts(アートと社会学)で卒業。ワシントン大学でMLA(ランドスケープアーキテクチャー修士号)とアーバンデザインサーティフィケートを取得。ランドスケープデザイン・建築オフィスやバージニア大学建築学部講師などを経た後、現在勤務しているGGNに2012年に入社。
40平方キロメートル以上の大規模な地域マスタープランからホームレスのための極小ハウスプロジェクトまで幅広いスケールやタイプのプロジェクトを手掛ける。過去に携わったプロジェクトは世界10か国以上。現在は大阪のうめきた2期地区開発も担当。ワシントン大学にて客員教授も兼任中。


 

 

TIU 霞会シンガポール支部