外交の現場に身を置いて
中江 新さん(1987年卒 教養学部国際学科第8期、原彬久ゼミナール、無線研究愛好会)

(2017年10月。釜山文化会館でのバイオリニスト五島みどりさんのKBS交響楽団招待演奏会の前に)
(2017年10月。釜山文化会館でのバイオリニスト五島みどりさんのKBS交響楽団招待演奏会の前に)

 皆さん、こんにちは。今回は宜しくお願いいたします。新型コロナウィルスのために日本でもシンガポールでも、そして私の滞在しております韓国でも厳しい状況にいらっしゃる方は多いと思います。是非、ともに生き抜く力を共有したいですね。
 私は子供の頃から、こうしたパンデミックの問題に限らず、私たちの住む「地球」、「世界」の出来事に広く関心がありました。いろいろな国の海外放送を聴いたり、自分でも「発信」するためアマチュア無線なんかもしました。

東京国際大学原ゼミでの学問、そして人との出会いが今の道につながる。
 勢い国際関係論を勉強したくなり東京国際大学(当時は国際商科大学)に入学。3年生からは、原彬久先生のゼミに入りました。そしてゼミで米国のジョージ・ケナンという対ソ封じ込め政策を立案した外交官について研究したこと、更に後になって恩師のお一人から「国際関係論や外交史を勉強したければ、実際に外交官をやってごらん」と背中を押されたことが今の道につながりました。1990年に外務省専門職員試験を受けたのですが、いろいろな大学の学生とともに勉強会を行い、試験科目の憲法や国際法、経済学等について教えてもらったことに今も感謝しています。

海外生活18年、外交官として韓国、カナダ、中国で勤務。
 1991年4月に外務省入省。ちょうど米ソ冷戦が終焉し、地域情勢が不安定化するなど国際関係は変化の時期を迎えていました。地域専門外交官として私が担当したのが朝鮮半島。日本の安全にとりアジア隣国との外交の重要性に漠然と思いを致しました。今まで29年余りの外交官生活のうち国内勤務が11年、残り18年は海外勤務です。


(1995年6月、慶尚南道巨済島にて)

 1992年6月から2年間は、ソウルの在韓国日本国大使館付となり語学研修を受けました。前半は延世大学の語学スクールに通い、後半はその大学院で韓国の北方外交などを研究しましたが、夜、下宿の友人とフロアで車座になって飲みながら語り合ったり、韓国の地方を旅したことも良い思い出です。等身大のおつきあいはどこでも大事だと思います。

 業務の中で歴史的な瞬間に出会うこともありました。
 1991年5月、私は、韓国との国連同時加盟を拒否していた北朝鮮が南北同時加盟に舵を切ったという第一報をラジオプレスという海外情報モニター機関から伝えられました。これを課内で報告したところ、蜂の巣をつつくような騒ぎになりました。語学研修後の在外公館勤務は釜山の総領事館でしたが、海上自衛隊練習艦隊の初めての釜山入港の準備にも関わりました。2009年から3年ほど、中国東北部の瀋陽の総領事館で勤務していたときには、とある筋から金正日総書記が近々鉄道で中国を訪問する、という情報を得たこともありました。思いがけない話は突然飛び込んでくるものです。


(1998年1月、北朝鮮の妙香山にて。KEDOと北朝鮮の協議の際に)

 KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)を担当していた1997年7月からの約2年半の間に、三度北朝鮮を訪問する機会も得ました。インフラが老朽化し豊かとは言えない人々の生活を垣間見る一方、物質に毒されない純朴な人々の情にも触れました。

 ワールドカップ日韓共同開催の際には2002年日韓国民交流年を担当、続いてソウルの大使館で日韓国交正常化40周年を記念した日韓友情年を担当しました。当時、韓国における日本文化開放と、日本における韓流への関心増大とも相まって、伝統芸能からポップカルチャーまで両国の交流が幅広く活性化されました。日韓関係が困難でも、国民の交流という大義が忘れられることのないよう役割を果たせたことは良かったと思います。

 カナダのバンクーバーにある総領事館で領事としてカナダ日系移民の皆さんと交流し、第二次世界大戦当時の苦労を理解すると同時に日系三世、四世の人々を日本に招待したこと、更には天皇皇后両陛下のカナダ公式訪問に携わったことも良い思い出です。

日韓関係、日朝関係について思うこと。
 日韓関係について。2016年10月に二度目の釜山勤務が始まった直後、総領事館の前に従軍慰安婦の少女像が反日団体の手で設置されました。在外公館の安寧と威厳が損なわれるような行為が事実上黙認されています。この一例をとっても日韓関係は歴史問題をはじめ大変難しい局面にあることがわかります。日本として確固とした立場をもって現状の是正を求めること、特に日韓国交正常化から現在までの日本の韓国に対する取組というファクトを踏まえるようきちんと韓国側を説得する努力を怠ってはなりません。一方、日本と韓国は今後とも対外開放体系の中で生きるという共通の目標があります。また、両国関係も様々な交流が基礎をなしており、これらの点は両国関係の望ましいあり方を示すものです。
 日朝関係について。北朝鮮は核、ミサイルの開発を放棄し、また、日本との間の拉致問題を解決することが、自ら繁栄に向けて舵を切る最も重要な方向性と思われます。日本としてそうした望ましい方向に進むよう、各国とも連携してきちんと説得することがますます大事であると心得ます。あの純朴な人民たちのためにも。


(2013年8月、グランドキャニオンでの家族写真。
ソウル、バンクーバー、瀋陽勤務の際は、家族で駐在)

本を読もう、様々な世界を見て人と交わろう、後悔を恐れずチャレンジしよう。
 大学時代のもっとも大切な思い出は、原先生のご指導の下、ゼミ生の間で大変真剣な議論を行ったことです。ゼミの結束も強く、卒業後も折に触れて先生、そしてゼミ生の皆さんと交流しています。私の場合は、仕事柄現役ゼミ生的な立場にあると思っています。私たちの教科書にハンス・モーゲンソーの「国際政治」という本があり、その中に「外交-調整による平和」という章がありますが、ゼミで学んだことは私の現実の仕事に生かされるべきものです。ゼミとのつながりは私にとって大変幸運でかけがえのないものです。

 また、私には、大学や仕事を通じた自分自身の体験、達成したことも失敗したことも含め、特に後輩の皆さんに伝えていければという僭越な思いがあります。後輩の皆さんには、まず良く読書することをおすすめしたいと思います。そして自ら外に出て、様々な世界を見て人と群れずとも交わること、そうした環境に身を置くことを実行してみてはいかがでしょうか。そして、後悔を恐れずにチャレンジすること。そうして得た体験の中で私と共通するものがあれば大変幸いですし、違う体験をされれば今度は私がそこから学ぶことができると思っています。
 長文にもかかわらず辛抱して読んでいただいた皆さんに感謝申し上げます。

(中江 新さんプロフィール)

  • 1987年3月  東京国際大学教養学部国際学科卒業
  • 1989年3月  一橋大学大学院法学研究科修士課程修了
  • 1991年4月  外務省入省(平成3年度専門職員)
  • 1992年6月  外務省在外研修員(大韓民国)
  • 1994年7月  在釜山日本国総領事館副領事
  • 1997年7月  外務省北東アジア課勤務
  • 2000年1月  外務省文化第一課勤務
  • 2003年8月  在韓国日本国大使館二等書記官
  • 2006年1月  在バンクーバー日本国総領事館領事
  • 2009年10月 在瀋陽日本国総領事館領事
  • 2012年8月  内閣官房拉致問題対策本部事務局参事官補佐
  • 2015年10月 外務省開発協力企画室室長補佐
  • 2016年10月 在釜山日本国総領事館首席領事
  • 2020年8月  帰朝予定

    TIU 霞会シンガポール支部