「人生という旅に出て60年。……ファティマという名前をもらったサハラ砂漠で現地の民と暮らした経験が私の転機だったと想う」
空羽(くう)ファティマ(関口恵子)さん(1986年卒業 国際関係学部 テニス部)

(2019年「毎日ホール」で朗読コンサートを開く)

はじめまして。絵本作家の空羽(くう)ファティマ(関口恵子)と申します。群馬県前橋在住です。2022年現在15作出版している自作の絵本〈主に大人の為の朗読CD付き絵本【愛と命と希望がテーマのキャメルン シリーズ】〉などの作者で、その世界観を立体的に表現しようと、物語に寄り添うオリジナルの音楽と,切り絵の映像と、ダンスをつけて、学校や舞台などで、その“朗読コンサート”を,医療者,教育者のメンバーと共に〈命の大切さと日々の尊さ〉を伝える活動(震災支援活動や、子育て支援、イジメ予防など)を14年間続けております。

私は当時の「国際商科大学(現東京国際大学)」を卒業後、世界35ヵ国を海外版寅さんの如く飛び回り、サハラ砂漠で現地の民と電気も水道もトイレもない生活をした際に付けてもらった「ファティマ」と言うニックネームを、その時学んだ“生きていく上で大切なこと」を忘れないようにと今もペンネームとして使っております。41歳で初めての出産後、自分の命より大事な存在に出会えたことで命の輝きを散りばめた【キャメルン シリーズ】というラクダを主人公にした物語を書いたのは、砂漠でラクダの価値を実感したことと、人間ではないキャラクターを使った方が“人生における深いメッセージ”も、ストレートに真っ直ぐに心に伝わると考えました。




      

アメリカ留学が目的で、東京国際大学に入学
さてさて。在学中は国際商科大学という名称で、オレゴンに編入できる制度を使いたくて国際関係学科に入ったのですが、厳しい体育会のテニス部に入り、76人だった新入部員が14人に減り、後輩もできたことでクラブを続け女子部主将なぞをやり、結局留学は卒業後にしました。 1年間朝から夜中まで必死にバイトして溜めたお金で,オレゴン州のサザンオレゴンステイトカレッジ大学附属の英語学校。フロリダは職業訓練所学校に通い、日本で生花をやっていた私はフラワーアレンジを学びました。オレゴンは大学内の池にワニがいた寮の暮らしをして、フロリダは何箇所もホームステイを経験し アメリカ家庭の中に入ったことで、生のアメリカの暮らしを肌で体験。虐待ママから子供を守りながら暮らした家。鳥が放し飼いになっていてご飯の時はフンを避けながら食べたおばあちゃんの一人暮らしの家。貧しいながらも毎晩のテーブルセッティングがとても素敵なカップルの温かな家。などなどいろんな家庭を体験。 中でも面白かったのはある子供の絵を見た私はその色彩の豊かさと自由さに感動して「どういう育て方をしたらこんな絵が描けるようになるの?」と聞くと、「サンフラワースクール」という私立の自由な小学校に行ってるというので,見学させてもらうと子供たちはその日に受けたい授業を自分で選び、寝転びながら授業を受けたりしてるのに、日本みたいに受け身ではなく政治的なことも性教育もオープンに小さい子がバンバン発言していて,驚いたのでした。 本当に楽しい自由な学校で、ワニのいる川?湖?に日本ではありえないくらいに先生も生徒と一緒に泥だらけになりながらのピクニックに行ったりするとにかくスゴい、ワイルドな自由な学校だった。 それで,楽しくなりここで学びたいと思った私は「生徒としてぜひ通わせてほしい」と校長に頼むと,「大人は無理」と初めは言われたが、子供たちにあやとりや、折り紙を教えて「こんなふうに日本文化も生徒たちに伝えるからお願いします!」と再度頼むと、私に懐いた子どもたちも先生にお願いしてくれて,晴れて小学生になれたのでした。めでたしめでたし!♡╰(*´︶`*)╯♡

しかも,一度納得した後は、その校長先生はなんと授業料も無料にしてくださり、自分の家にタダで住んで良いと言ってくれたのだった!ひゃあ!びっくり、なんてありがたし!
校長先生の夫はセントピーターズバーグの新聞社の社長さんで、リッチなお家での暮らしが始まったのでした。庭にはアライグマが来てて可愛かったが,サンドフリーという砂浜にいるノミに食われて物凄く,痒い日々で(>_<)キンカンを日本から送ってもらったほどでしたが、住んでる彼らは,痒くないと言っていたので不思議。

まあ、そんなこんなで私が海外を旅するようになったのはこのアメリカ留学後でした。

留学後に世界35か国を旅する。サハラ砂漠での暮らしはまるで別世界でした
20代、華やかなバブル期を東京世田谷に住み、満員電車の小田急線に揺られて過ごしていた私にとって、〈日の出る国の日本〉とは真逆の、〈日の沈む国である北アフリカ、モロッコ〉のサハラ砂漠はまるで別世界でした。

星の読み方も、おかずにするニワトリの締め方も、木のテントの建て方も、熱いタジンのお肉をフーフーせずに手で掴んで食べることも、ミントティーの淹れ方も、ターバンの巻き方も、井戸水のくみかたも、風の強い砂漠での洗濯物の干し方も,赤ちゃん同様に何も出来ない“恵まれまくった”日本という文明国で育って何も出来ず、3キロ先まで見えると言う現地の人が同情する1.5“しか”視力の悪い生きる力のない私に 彼らは砂漠での生きる知恵を一つずつ丁寧に教えてくれました。(ちなみに、どうやって,洗濯物を干すかと言うと、砂の中に埋めて乾かすのです。砂は水分も吸うし、油も吸う万能の便利グッズで、お鍋も砂でこすって洗います。)  

物はたくさんはないけれど豊かなシンプルな暮らしは毎日が新鮮で驚くことばかりでしたが,その生活で1番怖かったのは、命の危険を感じた嵐の中のラクダでの丸2日かけたキャラバン、長距離の移動でした。
高い建物のない砂漠ではラクダに乗っている私が1番高い場所にいるので 珍しく大雨が降り、雷が空一杯にものすごい迫力で走る中を、村もない広大な砂漠をただ、ただ、ひたすら進むことはもう,命を天に預けるしかない旅でした。

砂漠は普段でも気温差が昼と夜では40度あり、夜は寒いですが、雨を避けるためにと親切にじゅうたんを体にかけてもらったけれど、すぐに水を吸いものすごーく重たくなり、服もびっしょり濡れて、本当に泣くほどすっごく寒かったです。
でも,寒いとか重いとか不安だとか怖いとかいうより、ただただ、大自然の中に生きている一人の小さな存在としての自分を感じれたことは、究極の自由でもあり、解放された気分にもなったのでした。

私のラクダをひいてくれるゼイドおじさんや、ブルーマンと呼ばれる青いターバンと服を着た隊長のマホメットたちと,歌を歌ったり大声で笑いながら(もう開き直って笑うしかないっ^_^; )「サハララモンターニュー!!」などと叫んだりしながら,ひたすらひたすら,何も周りが見えない嵐の中、砂漠を進むしかなく、そうやって運命に身を任せながら丸一晩私たちは歩き続けた。

そして。ついにやっと、体を横にして眠れる場所に着いた時の安堵感は、言葉には出来ない。
文明国の日本ではあの、原始的な究極の喜びは味わうことは出来なかった。生き抜いたこと。生きた体で横になって眠れること。それだけでものすごく贅沢な幸せだと心の底から思えて,安心して温かな涙が出てきた。そんな経験を20代で出来たことは、私の人生でとても大きかったと思う。
(そしてその後に体験した東日本大震災が,更に私に〈当たり前のことなんて何一つない〉ということを痛いほど突きつけたのだった)




   (砂漠で暮らすブルーマン達との日々は、文明生活しか知らない私に、大きな学びを与えてくれた。
写真は教育出版社。高校3年の現代国語の教科書から引用)
 


【追伸。砂漠での体験記を帰国後1週間で書き上げた私は、自ら出版社を探し回り,その本が高校3年の国語の教科書に12年間載ったことで、ラジオ番組に出たり,講演を頼まれたり、新聞にコラムを書いたりするようになっていくのですが、この本を出版するまでの道のりは そりゃまた,大変な苦労があったので,そのことを書いた朝日新聞のコラムを載せますね】




   (サハラの体験を書いた朝日新聞のコラム「生まれてきてくれてありがとう」より)
 

何回も命ギリギリの旅をしてきたけれど
フィリピンに島を買いに行った時も、命の危険を経験しました。現地の人が漕ぐ小舟に乗っている時に急に天候が変わり嵐になり、舟底にたまる海水を、必死に掻き出しながら、目にかかる海水を避けるため暗い海の夜中なのにサングラスをかけるしかなく、恐怖で泣いてる余裕もなくひたすら海水を掻き出した、あの時も遠くに灯台の灯りが見えた時は、「ここまで灯台という存在は救いに感じるのだな」と真底感じで、その光が神に見えて手を合わせたものでした。

20代の私は、自分はまだ、人生経験のない“ひよっこ”だと知ってるからこそ、なんとか自信を付けたくて 人生経験を積むために海外を必死に旅してきました。決して強い人間ではなかったので、空港に着くたびに「私ったら、なんでまた ヘビーな旅に来てしまったんだろう?!」と半泣きしながらのキツイ冒険旅行でした。

日本にいる両親には「連絡もつかないし、ただ無事を祈るしかなかったわよ(>_<)」と言われた何回も何回も命ギリギリの旅をして、天のおかげか?神か?運命か?わからないけれどなんとか生き残ってこれたことには感謝しかないです。その当時はスマホという便利すぎる四角いドラえもんがなかったしだからとても不便だったけどネット時代ではないことはその時は当たり前だったし、あれでかえってよかったと想う。それは,もう,今では決してできない醍醐味でありスマホがあれば確実に旅は楽になってしまっただろうから。

アトラス山脈の崖の山道から見える崖下に転がるバスには,白骨化したご遺体が、ひきあげられないまま中にそのままあり、それを横目で見ながら、〈床を流れてくる羊さんのおしっこ〉を避ける方が今の自分には、【やるべきこと】であり、そんなふうにして、「今ここ」にいる練習を、強制的にしてきたことは、ある意味幸せな豊かな時代と呼べたのだと今振り返ると想う。




  
 

壁にぶつかった時に自分にかける言葉は「明けない夜はない」です
今の若者も大人も「夢がない」とか,「何をするべきかわからない」と悩む人が多く,コロナというかつてない壁にぶつかり,マスクが隔てた表情もよくわからないような人間関係で、人との距離感も難しくなっていると思いますが、それでも,今やるべきことを一つ一つやっていけば、きっと何か一つ道が出てきます。それが行き止まりならば、またちがう道を探せばいいのだと思います。「その人に必要なことしか人生には起きない)と、信じて。

私が,壁にぶつかった時に自分にかける言葉は「明けない夜はない」です。これは、東日本大震災のあの地獄のような光景を見て、原発の害から娘を守るために引っ越しを考え荷造りをはじめた時に 眠れず食べられなくなり、呪文のように呟いた言葉です。何か一つ自分のお守りになる言葉を持っていると良いと思います。言葉のチカラ,想いの力はいざという時に大きいと思うから。

空羽(くう)ファティマ(関口恵子)の活動紹介
絵本作家、マッサージセラピスト。群馬県前橋在住。一児の母。世界35ヶ国を旅して多様な価値観を学び、20代でサハラ砂漠で現地の民と共に暮らした日々は人生観を大きく変え、その体験記は高校三年生の現代国語の教科書に12年間掲載された。ファティマという名前はそのサハラ砂漠で現地の民につけてもらったニックネーム。水もトイレも電気もない生活で得た学びを忘れぬ為にペンネームとして使っている。

41才での出産、育児を通して感じた命の大切さを朝日新聞でのコラム『生まれてきてくれてありがとう』や毎日新聞のコラム「想いのチカラ」や、朗読CD付き絵本『ラクダのキャメルン シリーズ』に描く。絵本は2022年現在、キャメルン シリーズ15作「キヤメルン出版」より出版、






        

その他、311の震災で亡くなった佐藤愛梨ちゃんの絵本「あなたをママと呼びたくて、天から舞い降りた命」、大分の剣道の部活で顧問のシゴキにより亡くなった工藤剣太くんの本「剣太の風」など、命を真っ直ぐに描いた絵本、学校講演で生徒から寄せられた質問に答えた冊子『10代の君たちへ』や育自エッセイ『N』や、二本足のワンコ『スミレちゃん走る』など多数。「あなたをママと呼びたくて、天から舞い降りた命」や「魔女っ子ナイル進級の巻」「10代の君たちへ」は自己否定感で、悩む彼らのイジメや自死の対策として、学校関係者から好評です。




   

全てのキャメルン シリーズに付く朗読CDには、ストーリーに寄り添うオリジナルの音楽を使い、ピアノ、チェロ、バイオリン、尺八、ギター、太鼓、フラメンコの歌声などで表現する五感に働きかける朗読コンサート形式。 2008年にシリーズ一作目の『ラクダのキャメルン空を飛ぶ』を出版後、絵本の朗読や「愛と命と希望」をテーマにした講演を小中高等学校、大学、図書館、産婦人科病院、公民館、ホテルなどで行い、子供達から「気持ちをわかってもらえて嬉しい」 「自殺したいと思っていたけど、自分や友だちの命の大切さを知った。」などの言葉や育児ママからは「子育てに疲れた心に風穴があいた。子供を可愛いと思う気持ちが戻ってきた。」などの感想をいただいている。


  

《朗読コンサート》は、絵本の切り絵や絵をプロジェクターで映し、映像と朗読と音楽、ダンスのコラボレーションで、その世界観を表現している。




       

2015年には 311の東日本大震災で6歳で亡くなった佐藤愛梨ちゃんの母から依頼され描いた絵本『あなたをママと呼びたくて… 天から舞い降りた命』を出版するため全国に募金を呼びかけ、その様子はNHKニュースウォッチ9で大きく取り上げられ出版に至った。絵本の収益金は東北の被災地の子供のために全額寄付。 https://www.nhk.or.jp/kokorophoto/newsreport/14_1119.html




     

自信がなく、いじめに悩む子供たちの自己肯定感を高め、自分も友達も大切にできるようになる為に医療者,教育者のスタッフと共に熱い活動を14年間続けている。

空羽ファティマ(関口恵子)さんプロフィール)
 

絵本作家、マッサージセラピスト。一児の母。(旧姓は本木恵子)
群馬県前橋在住。新島学園高等学校卒業
1986年3月 国際商科大学(現東京国際大学)卒業 国際関係学部 テニス部 卒業後、オレゴンはサザンオレゴンステイトカレッジ大学附属の英語学校に行き、フロリダでは、職業訓練所学校に通う。その後、世界35か国を飛び回る。

現在は“キャメルン”グループで、絵本キャメルンシリーズ(作者 空羽(くう) ファティマ・(関口恵子)を通して、愛と命と希望の大切さを伝えるために、幼稚園や小中学校、PTAや地域の育児支援の会やレストランなど、さまざまな場所で朗読&講演会を行っている。

【絵本作家 空羽(くう)ファティマ】
「命の大切さ と日々の尊さ」を伝える本を キャメルン スタッフたちと「キャメルン出版」より出版し、その本を音楽やダンスとコラボした《朗読コンサート》として 2008年から続けている。朗読CD付きの主に大人の為の切り絵絵本、キャメルン シリーズを毎年出版。他には 3.11に6歳で亡くなった佐藤愛梨ちゃんの絵本「あなたをママと呼びたくて、天から舞い降りた命」、大分の剣道の部活で顧問のシゴキにより亡くなった工藤剣太くんの本「剣太の風」 の他、朝日新聞「生まれてきてくれてありがとう」、毎日新聞「想いのチカラ」、ハシモトランドの「キャメルンからの手紙」などのコラムの執筆の他、イジメや自殺防止の為、学校に生徒と保護者、先生への講演や朗読。東日本大震災への支援活動を続ける。

“表現”を真摯に極めた俳優 #三浦春馬さんのキンキーブーツのローラ❤️に胸をいきなり鷲づかみにされ、キャメルンシリーズの切り絵作家 海扉〔カイト〕アラジンの表紙の切り絵と共に【死を超えて生きる人】として、死して尚、影響力のある三浦さんの生き様を 彼を失い悲しむファンのグリーフケア活動として、月刊誌「創」に熱く執筆中。記事はYahooニュースにも掲載。

インスタグラム@coofatima 【ファティマー達の部屋】にも記事や切り絵のメイキングなどを日々投稿。

過去のブログはこちらです。 http://blog.camelun.com/

絵本などの購入はこちらから。『キャメルンショップ』 https://camelun.official.ec/”

最新のキャメルングループの活動やニュースはこちらから。 https://camelun.com/news/

 
 

 

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